オルハン・パムック
準備としてホジャは、パシャに読んで聞かせた文章を、9歳の少年が理解できるようなかたちで手を加えながら、暗記した。 が、ホジャの心はスルタンにではなく、どういうわけかパシャに、パシャがなぜ話を打ち切ったかにあった。 この秘密をいつか解明してみ…
ホジャが再び説明を始めると、パシャは最初はあまり楽しんではいなかったという。 しかも、ほとんど理解できそうにもない知識が複雑に絡まっているせいで、楽しい気分がまたもや削がれてしまったために、不満そうでもあったらしい。 しかしその後、ホジャが…
3 その頃ホジャは、毎週ではなく、少なくて月に一度ぜんまいを巻いて調節すれば済む時計を可能にする、もっと大きな歯車の仕掛けをどうすれば開発できるか、と考えていた。 このような歯車一式を開発した暁には、年に一度だけ調節される礼拝時計を作るとい…
こうして最初の年を、我々は、幻の星が存在する、若しくは存在しない証拠を突き止めるために、天文学に取り組み、それに没頭して過ごした。 大金を投じてフランダース地方からレンズを取り寄せて作らせた望遠鏡と、天体観測用の器具と定規とを使って作業をす…
ホジャも屋敷内におり、下で私を待っているという。 庭の樹々の間で見たのが彼だったことがそのとき分かった。 私たちは歩いてホジャの家に行った。 ホジャは、お前が信仰を変えないことは最初から分かっていたと言った。 家の一室を私のために用意していた…
これほど急に決められるわけがない、そう思っていた。 ふたりは私を憐れみながら見ていた。私は何も言わなかった。せめて、もう二度と訊いてくれるなと思っていたのに、少したってまた訊かれた。 こうして私の信仰は、そのためなら簡単に命を捨てられるよう…
翌朝パシャは、まさに昔話に出てくるように、ホジャの手で布袋一杯の金貨を*1届けさせてくれた。 ショーは大いに気に入ったが、悪魔の勝利は心地悪かったと言ったそうだ。 ショーはさらに十日間続けられた。 日中は焦げた模型を修理させ、新しい演出を考えて…
結婚披露祝典の二日目の夜に行ったショーもそうだという。皆がそう褒めた。裏で策略を用いて我々の手から仕事を奪い取ろうとしている敵でさえも。 我々の仕事を金角湾の向こう岸から見物するためにスルタンも来ていると聞いたとき、私はひどく舞い上がった。…
ある夜、途方もない高さにまで駆け上った花火がもたらした成功に興奮しながら、ホジャは言った。いつか、はるか月にまで届く花火でさえできるだろうと。 問題はただ、それに必要な火薬の混合物を割り出すことと、この火薬を収められる筒を鋳造できることだと…
朝、自分に似た男の家に行くとき、彼に私が教えられるようなことは何もないと思っていた。 しかし、彼の知識も私のより多いというわけではなさそうだった。 しかも我々の知識は互いに一致してもいた。すなわちすべての問題は、適切な樟脳の混合物を手にする…
2 部屋に入ってきた男は、信じられないほど私に似ていた。 私があそこにいるとは! 最初の瞬間、そう思った。 まるで私を騙そうとする誰かが、私の入ってきた扉のちょうど真向かいの扉から、私をもう一度中に招き入れ、こんなことを言っているかのように。 …
冬はこうして過ぎ去った。 春先になり、何ヶ月も消息を尋ねられることもなかったパシャが、艦隊とともに地中海に遠征していることを知った。 暑い日々の続く夏じゅうを、絶望と怒りに満ちて過ごした私を見ていた幾人かは、現状に不満を持つべきではない、診…
まずは広間に通された。 そこで待っていると、部屋のひとつに招き入れられた。 小さな安楽椅子に小柄で感じの良い男が、上に毛布をかけて横になっていた。 その傍には、大柄な別の人間がいた。 横になっているのがパシャらしく、私を傍らに呼び寄せ、話を交…
イスタンブールには、見事な凱旋式とともに入港した。 少年スルタンも見物していると聞いた。 マストというマストの先端には軍旗が掲げられ、その下には我々の旗、聖母マリアの絵、十字架が逆さまに提げられ、ならず者たちに下から好き放題に矢で射させた。 …
当時、私は、母親からも婚約者や親友たちからも、他の名前で呼ばれる別の人間だった。 かつて私であった、あるいは今そのように思うその人物を、時折ながらいまだに夢に見、そして汗をびっしょりかいては夢から覚める。 褪めた色合いを、後に何年も私たちが…
1 ヴェネツィアからナポリへと向かっていた。 トルコの船団が我々の行く手を遮った。 我々の船は合わせても三隻。 奴らのはといえば、霧の中から現れたガレー船団の後ろが一向に見えてこないほどだった。 我々の船では一瞬にして恐怖と狼狽が広がった。 ほ…
(「はじめに」後半) この物語にかける私の情熱はおそらくこのせいで、いっそう高まった。 いっときは辞職すら考えた。 しかし仕事も友達のことも気に入っていた。 こうしてある時期、私の目の前に現れる誰にでも、まるでその物語は見つけたのではなく私自…
はじめに この手記は、1982年のこと、毎夏一週間にわたり中に籠ってほじくり回すのを習慣としていたゲブゼ*1郡庁所属のあの廃物「古文書館」で、勅令、登記簿、裁判記録や公的台帳類と一緒にギュウギュウに詰め込まれた埃だらけの箱の奥底で見つけた。 …
『TEMPO』最新号(2006年10月19日号)の記事によると、オルハン・パムックはいまだに原稿を、若い頃から使い慣れたブロックノート*1に手書きで書いているらしい。 ■オルハン・パムック作品の植字工*2 ヒュスニュ・アッバス(Hüsnü Abbas)は語る オ…
トルコ語版ウィキペディア(Vikipedi)に記載されている、オルハン・パムックの項から。 なかなか興味深いパムック像が浮かび上がってくると思う。 ■フェリット・オルハン・パムック(Ferit Orhan Pamuk) 1952年6月7日、イスタンブール生まれ。その小…
■オルハン・パムック(ORHAN PAMUK) 1952年、イスタンブールに生まれ、『ジェヴデット氏と息子たち』『黒い本』という小説で描かれた家族によく似た家族のもと、ニシャンタシュで育つ。 ニューヨークで過ごした3年間を除き、常にイスタンブールで暮ら…
2006年度ノーベル文学賞受賞作家であるオルハン・パムック(Orhan Pamuk)*1の作品世界を、どうのこうの言える立場にはない。「トルコ人にも難しい」といわれる彼の作品を初めて手に取ってみる勇気が湧いたのは、ノーベル賞受賞が発表されてようやく数日…