『白い城』 【14】 P.32〜34

 



 ホジャも屋敷内におり、下で私を待っているという。 庭の樹々の間で見たのが彼だったことがそのとき分かった。 私たちは歩いてホジャの家に行った。 ホジャは、お前が信仰を変えないことは最初から分かっていたと言った。 家の一室を私のために用意していたほどだった。 腹が空いているかどうかと訊いた。 まだ死の恐怖が残っていた私は、ものを食べられるような状態にはなかった。 それでも目の前に置かれたパンとヨーグルトをひとくち、ふたくち口に入れることができた。 口の中のものを噛み砕いているとき、ホジャは楽しそうに私を眺めていた。 市場で新しく買った見事な馬に餌をやるとき、馬に先々やらせる仕事を考えては楽しむ田舎者のように、ホジャは私を眺めていた。 ホジャが、パシャに献上する時計と宇宙形状論の原理の細部に没頭して私のことを忘れてしまうまで、この視線を何度となく感じた。


 その後、ホジャはすべてを教えてくれと言った。パシャからは、このためにお前を所望したのだ。お前を解放できるのは、あいにくその後のことだという。 この「すべて」が何なのか私が理解できるまで、数ヶ月を要した。 学校や宗教学校で私が学んだことだという、「すべて」とは。 あそこで、私の故国で教わる天文学、医学、工学、科学のすべてだと。 それから、独房に残されたままになっていて、翌日には持ってこさせた書物に書かれていることも、私が見聞きしたことのすべても、河、湖、雲、海に関する私の考えも、地震や雷の原因も・・・。 真夜中にもなろうという頃、最も関心があるのは星と惑星だとホジャは付け足した。 開いた窓から部屋の中に月光が差し込んでいた。私に向かい、月と地球の間にあるあの星が存在するのかしないのか、少なくとも確実な証拠を我々は見つけねばならないのだ、と言った。 私は、死と隣り合わせだった一日の怯えた眼差しで、我々ふたりの間の苛々するほどの相似性を今ふたたび、嫌々ながら観察していた。 ホジャは、もはや「教える」という言葉は使っていなかった。 我々は共に研究し、共に発見し、共に歩んでいかねばならなかった。


 こうして、扉の隙間から自分たちの様子に聞き耳を立てている大人たちが留守の時でも、信念を持って勉強に勤しむふたりの優秀な生徒は、ふたりの仲の良い兄弟のように作業を始めた。 最初のうちは私の方が、怠け者の弟が自分に追いつくように、旧知の事柄を丹念に調べ直してやることを承知した好意的な兄のように、自分を感じていた。 ホジャの方は、兄の知識がそれほど多いものではないことを証明しようとする利口な弟のように振舞っていた。 我々の間の知識の差は、ホジャによれば、単に独房から運んで目を通した書物の、私が記憶している冊数程度のものだった。 ホジャがその並外れた勤勉ぶりと知能とによって、イタリア語を―後にはいっそう上達させることになるのだが―を解読し、6ヶ月間で全巻を読み終わり、私の記憶している事柄も残さず復唱して聞かせたとき、私の優位性はまったくといって残っていなかった。 にもかかわらずホジャは自分自身に、大半は価値がないと自分でも認めた書物を越える、書物から学んだ事柄よりずっと自然で奥深い知識があるかのように振舞っていた。 仕事に取り掛かってから6ヵ月後、我々はもはや、共に学び、共に進歩していく仲間ではなかった。 彼が考え、私はただ、彼がそうするための詳細のいくつかを彼に気付かせるか、あるいは彼の知っている事柄をもう一度検証する手助けをしているだけだった。


 私がほとんど忘れてしまったこの「考え」を、ホジャは夜に発見することが多かった。 出来合いの夕食を一緒にとり、街の灯りが残らず消え、辺りが静寂に包まれたずっと後に。 朝は、二つ先の地区にあるモスクの子供学校に教師として出向き、週に二日は、私が一度も足を延ばしたことのない遠くの地区のモスクの計時局*1に通っていた。 残りの時間は、夜のこの「考え」に備えるか、あるいはその余韻に引きずられながら過ごしていた。 その頃は、近いうちに祖国に帰れるものと期待一杯に信じていた。 詳細に興味を持って耳を傾けることをしなかった「考え」についてホジャと議論になれば、私の帰国は少なくとも遅れることになるだろうと考えたため、決して反論はしなかった。

*1:muvakkithane: muvakkitとは、モスクに所属し、エザーンの時刻を算出する専門職の名。ここでは、とりあえず「計時局」と訳しておく。