『白い城』より(6)

Kitabı günümüz Türkçesine çevirirken hiçbir üslup kaygısı gütmediğimi okuyanlar göreceklerdir: Bir masanın üzerine koyduğum elyazmasından bir iki cümle okuduktan sonra, kağıtlarımın durduğu başka bir odadaki öteki bir masaya geçiyor, aklımda kalan anlamı günümüz kelimeleriyle anlatmaya çalışıyordum.

本を今日のトルコ語に訳す際、文体の心配は一切抱かなかったことを読者は分かってくれるだろう。 机の上に置いた手記の、文のひとつふたつを読んだ後で、紙を置いてある別の部屋のもうひとつの机に移り、頭の中に残っている意味を現代の単語を使って説明するよう努めた。

いまわたしは、机の上に置いた手記の中から一つ、二つの文章をつまんでは、自分の原稿が待つ別の部屋の書き物机に移り、頭の中に残る物語の意味を今日の言葉で語ってみようと努めている

コロン以前の文を訳し忘れたようだ。そのために、コロン以下の文の時制解釈を間違ってしまったのだろう。「いまわたしは〜語ってみようと努めている」とあるように翻訳作業は現在進行中ではない。コロン以前の文で「訳す際、文体の心配は一切抱かなかった」とあることから分かるように完了しており、コロン以下ではその翻訳中の様子を過去に遡って説明しているのである。
言外のニュアンスとして、「翻訳が成功しているとすれば、それは著者の文体に負うところが大きく、私は単に意味を現代的な言葉に置き換えただけ」と語っていると考えられ、今回の拙訳では、つまり/すなわち/というのも等の接続詞を挟む代わりに、文末表現を工夫して処理した。



本を今日のトルコ語に訳す際、文体の心配は一切抱かなかったことを読者は分かってくれるだろう。 私は、机の上に置いた手記の中から、一つ二つの文章を読んだ後で、紙を置いてある別の部屋のもうひとつの机に移り、頭の中に残っている意味を現代の言葉を用いて説明するよう努めたに過ぎない。