【バイオグラフィー】 ウィキペディア編 

執筆中のオルハン・パムック



 トルコ語版ウィキペディア(Vikipedi)に記載されている、オルハン・パムックの項から。
 なかなか興味深いパムック像が浮かび上がってくると思う。


■フェリット・オルハン・パムック(Ferit Orhan Pamuk


 1952年6月7日、イスタンブール生まれ。その小説が多くの言語に翻訳され、賞を獲得しているトルコ人作家。ポストモダン小説家の中に位置づけられている。
 オルハン・パムックは2006年のノーベル文学賞を受賞したことで、ノーベル賞を獲得した初めてのトルコ人となった。彼の受賞は、一部の関係者からは政治的なものと判断されている。


バイオグラフィー(個人的経歴)*1


 オルハン・パムックは1952年6月7日、裕福な一家の末っ子としてイスタンブールのニシャンタシュ地区で生まれた。祖父や伯父同様、父親も第一級エンジニアであった。家族の資産の基礎は、祖父が築いたという。父親はIBM社のトルコ部門でゼネラル・マネジャーを務めたギュンドゥズ・パムック(Gündüz Pamuk)、母親は1700年代にクレタ島の知事職を務めたイブラヒム・パシャの血筋を引くシェキュレ夫人(Şeküre Hanım)である。


 オルハン・パムックは、小説『ジェヴデット氏と息子たち』(1982年)に見るような家庭と家族のもと、イスタンブールのニシャンタシュ地区で育つ。長年、画家になる夢を抱きつつ、ロバート・コレジで学ぶ。イスタンブール工科大学で学んでいた時、建築家や画家にはなれないだろうという結論に達し、大学を中退する。継続して通う必然性がなかったために文筆により時間を割くことができるだろうと考え、イスタンブール大学新聞研究所に入り、ここを卒業する。その後に始まった修士課程は途中で放棄した。しかし、小説『雪』以外に、この仕事に携わったことはまったくない。


 1982年にアイリン・トゥレギュン(Aylin Türegün)と結婚。1991年に夢(ルヤー/Rüya)という名の女の子をもうけた夫妻は、2001年に離婚する。オルハン・パムックの兄シェヴケット・パムック(Şevket Pamuk)は経済史学者となり、ボアズィチ大学で教鞭をとっている。


 1985年から1988年にかけ、アイオワ大学の開講するインターナショナル・ライティング・プログラム(IWP)に参加する。世界の異なる地域から参加しにやってきた、また参加を約束されている作家たちにアメリカの生活を知ってもらい、本の執筆に適した素晴らしい環境を提供することを目的としたこの講座は、後の彼自身の表現によれば、「人生を変えた」ものであった。最初の作品以来国内外で賞をとり続け、その本はよく売れると同時に、文学的角度からも肯定的な反響を得た。

*1:英語版の見出しはBiographyとなっているのだが、トルコ語版ではBiyografi/Yaşamöyküsüではなく、Özel yaşamı=個人的、私的経歴という見出しが与えられている。