タイトル変更―そしてブログ再開


ブログを顧みなくなって2年が過ぎた。その前年に開業した本業の方で多忙になったこともあり、実務翻訳の方は少しずつ縮小を余儀なくされ、現在は本業の合間に差し込めそうな小さい案件を受ける程度である。


その一方で文芸翻訳への情熱は、熾火のように時折小さな炎を揺らめかせながら、決して消えて尽きることはなかった。熱を失い色褪せ灰色に変色しかけた頃になると、ふたたび風が立ち、眠りから目覚めた炎がゆらりと燃え立つ。


自分の年齢と翻訳に割ける時間を顧みれば、「いずれは文芸翻訳を手掛けたい」などという寝言・戯言は、寝ても言えそうにないことが今では分かる。それでも、10年以上トルコ語の中で生きて来、これからもトルコ語と日本語の間を常に往復しながら最低20年間は生きていかざるをえない者にとって、そして仮にも実務翻訳者として、トルコ語、日本語それぞれの言葉の意味をひとつひとつ秤にかけながら、細心の注意で扱ってきた者にとって、何であれ「トルコ語の日本語訳」だと聞けば心中穏やかではいられない。それが文学作品であれば、なおさら心が波立つ。2年振りにブログを再開する気になったのは、この心の波がすでに高みに達し、今にも溢れんばかりになってきたからである。


作品発掘と「翻訳練習」の場というつもりで始めた当ブログだが、「これだけは自分が翻訳したい」と強く思える作品にも出逢えないまま、誤訳検証を通じて文芸翻訳のあり方へと考えが次第に及ぶようになった。最後のブログは、その「気付き」の時点で終わっている。


その後、『白い城』の宮下遼氏は『無垢の博物館』を手掛けられ、さらに今度は新訳版『わたしの名は赤』を上梓された。日本帰国の際に手に入れることが叶った『赤』を、今は必要に応じ原文を参照しながら読み進めているところである。2年前に比べ何らかの成長があったとは思わない。が、2年のブランクを越え、今また『赤』の新訳を通じて再確認し、いっそう確信したことがある。ここでは以前同様に、原文との対訳形式で検証していきたいと考えている。


タイトルは心機一転、この方向で変更した。これからは水門を放つように、満ちつつある考えをゆっくりと解き放っていければと思う。