『白い城』 【3】 P.11〜13

ガレー船



    



 

 ヴェネツィアからナポリへと向かっていた。 トルコの船団が我々の行く手を遮った。 我々の船は合わせても三隻。 奴らのはといえば、霧の中から現れたガレー船団の後ろが一向に見えてこないほどだった。 我々の船では一瞬にして恐怖と狼狽が広がった。 ほとんどがトルコ人マグレブ人であった漕ぎ手たちは、歓喜の雄たけびを上げていた。 我々は平静を失った。 ほかの二隻の船のように、我々も東へ西へと船首の向きを変えたが、二隻ほどにはスピードが上がらなかった。 船長は、捕虜になった際の処罰を恐れるのに精一杯で、漕ぎ手の奴隷たちを激しく鞭打つための命令を下すどころではなかったのだ。 後年、私の全人生は、船長のこの臆病風のせいで一変したのだと何度となく思った。


 今となっては、船長がほんの一時あんな臆病風に吹かれさえしなければ、私の人生はまさにあの時点で変わりえたのだ、と思う。 あらかじめ決められた人生などないことを、どんな物語も実はひとつひとつの偶然の繋がりであることを、多くの人が知っている。 それでもなお、この真実を知るものでさえ、人生のある時期に、過去を振り返って眺めたとき、偶然に経験したことのひとつひとつが必然であったことを確信するものである。 私にもそんな時期が訪れた。 今、霧の中から亡霊のように現れたトルコ船の色合いを思い描き、古ぼけた机の上で本を書こうというとき、そのような時期こそ、ひとつの物語を始めそして終えるのに最も相応しい時なのだと思う。


 ほかの二隻の船がトルコ船の間をすり抜けて霧の中に姿を消したのを見て、船長は一縷の望みをかけ、勇気を振り絞り、力づくで奴隷たちを締め上げた。 が、すでに遅すぎた。 その上、自由の身になるという熱に浮かされ興奮している奴隷たちには、鞭をもってしても言うことを聞かせることはできなかった。 神経を苛立たせる霧の厚い壁を色とりどりに色分けするようにして、十隻を越えるトルコのガレー船が、一瞬にして我々に襲い掛かってきた。 船長は、今度こそは、敵をというより、察するに自分の臆病風と羞恥心を征服するために闘うことを決意したようだった。 奴隷たちを容赦なく鞭打ちながら、大砲の用意を命じた。 どうにか炎の上がった戦闘熱だったが、またたく間に消え失せてしまった。 片舷砲からの激しい一斉射撃を浴びた我々の船は、すぐに降伏しなければ沈んでいたところだった。 我々は降伏の旗を揚げることを決断した。


 穏やかな海の中央でトルコ船を待つあいだに、私は船室に降りていった。私の全人生を変えてしまうであろう敵をではなく、来客としてやってくる親友を待つかのように、身の回りのものを整頓した。 小さな長持ちを開け、のろのろと本をいじくり回した。 フィレンツェで大金をはたいて購入した本の頁をめくるとき、目元が潤んだ。 外から聞こえる怒鳴り声やうろたえた足音、騒音に耳を傾けていた。 もうじき、手にしている本と離ればなれになることは分かっていたが、そのことをではなく、本の頁に書かれていることを考えていたかった。 まるで本の中の思想、文章、数式の間に、失いたくない私の過去のすべてがあるかのように。 たまたま目に留まった数行を、お経を唱えるようにぶつぶつ声に出して読みながら、本をまるごと頭の中に刻み込んでしまいたかったというのに、トルコ兵たちがやってきた今となっては。 彼らのことでも、彼らが私に強いたことでもなく、好んで暗記した一冊の愛しい言葉の数々を思い出すかのように、私の過去の色合いを思い出すことにしよう。