『白い城』 【15】 P.34〜36

 



 こうして最初の年を、我々は、幻の星が存在する、若しくは存在しない証拠を突き止めるために、天文学に取り組み、それに没頭して過ごした。 大金を投じてフランダース地方からレンズを取り寄せて作らせた望遠鏡と、天体観測用の器具と定規とを使って作業をする時、ホジャは幻の星の問題を忘れた。 それよりもっと深い問題に踏み込んだのだ、プトレマイオスの体系を議題にするつもりだとホジャは言ったが、議論はしなかった。 ホジャが一方的に話し、私はただ耳を傾けていた。 透明な球体に星々がぶら下がって留まっているとは、なんと馬鹿げていることか。おそらく星々をそこに繋ぎ止めている何か他のものがあるのだ。例えば、目に見えない何らかの力、引力、たぶんそんなものが、と。 それから地球も、おそらく太陽のような、他の何かの周囲を回っているのだ。おそらく星という星は、我々が存在すら知らされていない別の中心の周囲を回っているのだ、と主張した。 もっと後には、自分はプトレマイオスよりずっと広範に考えられるのだと主張しながら、より拡大化した宇宙形状論のために新しい星群について研究し、新しい惑星系のための原理を提唱した。 おそらく月は地球の、地球もまた太陽の周囲で回っているのだろう。おそらく中心は金星であろうと。しかしホジャは、このような考えにもすぐに飽きた。 それからさらに後には、当面の課題は、この新しい考えを提唱することではなく、星々とその運行についてここにいる者たちに知らしめることであり、この仕事はまずパシャから始めることになるだろうと話すようになった。 と、そこで我々は、サドゥック・パシャがエルズルムに流刑にさせられていることを知ったのだった。 失敗に終わったある謀略に加わったと噂されているらしい。


 パシャの流刑先からの帰還を待っていた数年間、我々は、ボスフォラス海峡の流れの原因に関して書く予定の論文のため、何ヶ月も海峡を望む小高い丘の頂で、骨の髄にまで凍み透る風の中、海流を眺めたり、また谷あいで、手にした容器で海峡に流れ込む谷川の水温と流れを測定しようと努めたりしながら、あちこちを歩き回った。


 パシャの依頼によってある仕事をするために行き、三ヶ月滞在したゲブゼで気づいたモスク間での礼拝時刻の不一致が、ホジャに別の考えを与えた。 つまり、礼拝時刻を知らせる完璧な時計を作ることになったのである。 机なるものを彼にそのとき教えた。寸法を渡し、家具屋に作らせた品物を家に持ち帰ると、ホジャは最初は気に入らず、この新しい品物を棺置き用の台にたとえ、不吉だと言った。 だが後には、椅子にも机にも慣れた。この方がもっと上手く考えたり、書いたりできるとも言った。 礼拝時計のため、太陽の回転軸に平行した楕円形の歯車を鋳造させにイスタンブールに戻る際、机はロバの背中で、我々の後ろから着いて来ていた。


 机に向かい合って座り、共に研究したその最初の数ヶ月、ホジャは、地球が球形であるがゆえに昼と夜との間に大きな時間差のある寒い国々では、礼拝と断食の時刻はどのように確定されるか把握しようと努めていた。 もうひとつ別の問題は、メッカ以外のどの場所に行こうと、人がメッカの方角を向くことのできるもうひとつ別の地点があるのかどうかということであった。 心のうちでは軽視していたこの問題に私が関心を示さないところを見るたび、ホジャは私を軽蔑したものだった。 しかしその時点では、ホジャも私の「優位性と相違性」には気づいたことだろうと考えていた。 ホジャにしても、おそらく、私がそれに気づいたと考えたために腹を立てたのだろう。 なにしろホジャは、長々と科学について語るのと同じほど、洞察力についてもよく語っていたのだから。 ホジャは、パシャがイスタンブールに戻ったとき、諸々の計画と、より発展させ、かつ、ひとつのモデルによって理解できる新たな宇宙形状論の原理と、新作の時計とによって、パシャに影響を及ぼすつもりだった。 ここで、自分の内にある関心をあらゆる人に伝染させながら、ひとつの復活の種子を撒くつもりだった。 ふたりとも、それを待っていたのである。