『白い城』 【2】 P.9〜10

SESSİZ EV




(「はじめに」後半)


 

 この物語にかける私の情熱はおそらくこのせいで、いっそう高まった。 いっときは辞職すら考えた。 しかし仕事も友達のことも気に入っていた。 こうしてある時期、私の目の前に現れる誰にでも、まるでその物語は見つけたのではなく私自身が書いたかのように、興奮して話して聞かせた。 物語を興味深いものに仕立てるため、記号的な価値だとか、実を言うと今日の我々の現実に言及しているだとか、我々の時代をこの物語を手掛かりに理解した、などといった説明をした。 この私の言葉によって、政治、暴力、東と西、民主主義といったテーマをよりずっと気にかける若者たちが関心を寄せてくれた。 しかし彼らも、私の酒飲み友達のように、あっというまに物語を忘れてしまった。 ある教授の友達は、私のしつこい勧めで手にとった手記を私に戻してくれる時、イスタンブールの裏通りにある数々の木造家屋、そんな家々の中には、この手の物語の染み付いた手記が1万冊はあると言った。 もし家の住人が、それらをコーランだと思って背の高い棚の上に載せてしまわなければ、ストーブに火をつけるために一頁ずつ破ってしまうだろうと。


 こうして、もう一度、最初に戻って読んだ物語を、煙草を手放さない眼鏡の一少女でさえ励ましてくれたことで、出版することに決めたのだった。 本を今日のトルコ語に訳す際、文体の心配は一切抱かなかったことを読者は分かってくれるだろう。 机の上に置いた手記の、文のひとつふたつを読んだ後で、紙を置いてある別の部屋のもうひとつの机に移り、頭の中に残っている意味を現代の単語を使って説明するよう努めた。 本の名前は、私ではなく、出版を承知した出版社がつけた。 巻頭にある献辞*1を見た人は、おそらく、この言葉の特別な意味があるのかないのか尋ねることだろう。 あらゆるものを互いに関係づけて見るのは、思うに現代病である。 この病気を私も患っているために、この物語を出版するわけである。

                             
                                ファルック・ダルヴノウル*2

 

*1:「よき者、よき兄弟、ニルギュン・ダルヴノウル(1961-1980)に捧げる」とある。ニルギュン・ダルヴノウル(Nilgün Darvınoğlu)は、前作『静かな家(Sessiz Ev)』に登場する3人息子の一人で、おそらくファルック・ダルヴノウルの革命家の弟のことであろう。(※未読のため、未確認ではあるが)

*2:Faruk Darvınoğlu:『静かな家』に登場する3人息子の一人で、歴史家。つまりこの物語は、オルハン・パムックではなく、ファルックが発見し訳出し、出版した作品という設定になっている。