回想小説

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(17)

§帰還 イスタンブールに着きました。はやる心にもかかわらず、座り続けた私の身体はコンクリートのように重く身動きがとれませんでした。車椅子が必要かときかれて断固否定した私ですが、スチュワーデスの手助けなしには、タラップを降りることさえままなり…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(16)

§女ひとりで―3 ドイツ軍が各地で敗北を喫しはじめました。私たちは、ド・ゴール将軍が勝ち進んでいるという吉報をラジオで聞いては喜び、一刻も早い終戦を待ち望んでいました。 ある夜、ドアが激しくノックされ、開けてみると、マダム・ジャネットでした。…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(15)

§女ひとりで―2 6月の半頃、パリはドイツ軍の占領下に入りました。ヒットラーが凱旋門を通る際の歓声をラジオで聞きながら、涙を流しました。 週に二度、配給券と交換で保存用の食料を手に入れるために、早朝から長い列に並びました。それでどうにか、自分ひ…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(14)

§女ひとりで―1 イスタンブールを離れるのは辛く憂鬱なものでした。戦争の足音が、フランスにまで届こうとしていたのです。唯一の慰めは、娘ニーメットの婚約でした。私は娘が新しい家庭を築けるよう手助けをしてやるために、パリに戻るのです。 経済的には…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(13)

§パリでの流刑の日々―3 ムスタファ・ケマルとイスメット・(イニョニュ)パシャの間に隙間風が吹いているという噂が届きました。ジェラル・バヤルが首相に任命されると、国外追放処分となった150人に対し恩赦の発令がなされました。 キャーミルから手紙が届…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(12) 

§パリでの流刑の日々―2 夏が終わり、冷え込むことが多くなりました。室内はガスで暖房していましたが、一人の時は使わないようにしていました。それでなくとも、座っている暇などなかったのです。クリスマスの前にはたくさんの縫い物をしました。子供たちに…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(11)

§パリでの流刑の日々−1 私たちはイスタンブールに近く、情報の伝わりやすい場所としてルーマニアのコスタンツァ港に近いママイで逗留することにしました。私たちは移民も同然でしたが、子供たちを落ち込ませないようにと、海の見える立派なホテルで泊まるこ…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(10)

§困難な時代-3 その頃、フェリット・パシャ内閣が解散しました。新しい議会システムが検討されるなか、スルタンの影響力を制限するという点で、メフメット・アリは仲間と同じ意見を抱いていました。 敵対関係にある内務大臣アリ・ケマルがリンチを受けたと…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(9)

§困難な時代-2 戦争に敗れました。ダーマット・フェリット・パシャ内閣で内務大臣の任についているメフメット・アリは、始終神経を尖らせ、仲間内での会合を繰り返していました。 ある晩、メフメット・アリの血圧を測りにやってきた医者に、長らく咳き込み…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(8)

§困難な時代-1 セルビアで起きた事件をきっかけに、再び戦争に突入しました。イギリスの家族は来るのを諦めたと電報をよこしました。初めて、このまま一生会えないのではないかという不安に襲われました。 食料品のいくつかは手に入りにくくなり、私はイギ…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(7)

§オスマン人の嫁として-5 その頃、イスタンブールではスルタンの圧制に対する反乱が起きていました。スルタンは危険を逃れて離宮のひとつに閉じこもり、街中では狂信者たちが目を光らせているせいで、全身を覆い隠す黒いブルカ以外での外出はできなくなりま…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(6)

§オスマン人の嫁として-4 マクブーレ・レイラがようやく6ヶ月になった頃、再び妊娠に気付きました。秋が来て、私たちは海辺の屋敷を引きあげ、ベヤズット広場に面した屋敷に戻りました。私たちが住まうことになる3階を、私は自分の好みで飾りつけました。…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(5)

§オスマン人の嫁として-3 私はお屋敷の中をあちこち散策してまわり、様々な発見をしました。特に目を引いたのは大きな台所で、人ひとり入れるほどの大鍋で毎日数十人分もの食事が作られていました。7、8人いる使用人はもちろん、用事で屋敷を訪れる人たちに…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(4)

§オスマン人の嫁として-2 春が来てライラックの花が咲く頃、私は妊娠しました。気候が良くなると、ペラの小さい家では我慢できないほど暑く感じられ、家族全員で、ブユックデレにあるボスフォラス海峡沿いの屋敷に移ることになりました。海辺の屋敷の、海峡…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(3)

§オスマン人の嫁として-1 私たちは一緒に住む家をペラ地区に借り、結婚式はふたつのバイラム(イスラム教の宗教祭)の間に行うことになりました。 クルバン・バイラム(犠牲祭)は初めての経験でした。義母にバイラムの挨拶に伺うためメフメット・アリと馬…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(2)

§イギリス娘 私にとって、これは3度目のイスタンブール行きでした。1度目は19のとき。イスタンブールとあの黒い瞳に魅了されました。2度目は1939年、十数年に及ぶパリでの亡命生活の後、恩赦の知らせを受けて、夫メフメット・アリとともに郷愁つのるイスタン…

アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(1)

〔書 名〕 OSMANLI’DA BİR İNGİLİZ GELİN (仮題:『アーンティ・ネリー〜オスマン帝国末期のトルコ上流階級に嫁いだあるイギリス人女性の半生〜』)〔著 者〕 Tülün Yalçın(トゥルン・ヤルチュン)〔出 版 社〕 Can Yayınları Ltd.Şti.〔出 版 年〕 2004年…