アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(4)


§オスマン人の嫁として-2

 
 春が来てライラックの花が咲く頃、私は妊娠しました。気候が良くなると、ペラの小さい家では我慢できないほど暑く感じられ、家族全員で、ブユックデレにあるボスフォラス海峡沿いの屋敷に移ることになりました。海辺の屋敷の、海峡を望む広い一室が私たちの部屋になりました。ちょうど一年前、ボスフォラス海峡でボート遊びをした際に、憧れのまなざしで眺めた海峡沿いに並ぶお屋敷のひとつに、まさか自分が住むことになろうとは、そのときは思いもよらなかったのです。

  
 屋敷の周りには、亡きメフメット・アリの父親キャーミル・パシャのお陰で土地に住まわせてもらうようになったジプシーたちが暮らしており、なにかにつけ奉仕してくれました。
 家事を一手に取り仕切るのは、長年お屋敷の家政婦長をしているカフカス出身のアリイェです。私は少しずつ彼女の管理から逃れ、自分の考えを通すようになっていきました。まず手始めに私の思いついたのは、家族全員を一緒の食卓につけることでした。メフメット・アリもこれには賛成してくれました。彼の祖母や父のありし頃には重視されていた一家の伝統だと。「君に任せるよ。我が家の奥様は今度から君だ」と言いました。こうして私は、以来何十年ものあいだ一家を取り仕切る重荷を、我が身に課すことになりました。


 海辺のお屋敷に来た途端、なにかにつけ、亡き義父キャーミル・パシャの名を聞くことになりました。キャーミル・パシャの父親アリ・パシャは、ハンガリー出身でスルタン付きの楽団の責任者、母親は宮廷出身のセヴデディ夫人です。ふたりの息子のうち長男タヒル氏は元帥に、次男であるキャーミル氏は治安大臣となりました。キャーミル・パシャのワンでの任務時代、クルドの部族間で起きた事件を穏やかに解決した恩に報いるため、最も力のあった部族の長が、娘のなかで一番の美人を嫁にやろうと申し出ました。そうしてハフィゼ夫人は、遠いワンからごく少数の近親者と2匹のワン猫を共にお輿入れしたのです。その1ヵ月後、ラクダの背に積まれてイスタンブールに到着したハフィゼ夫人の見事な嫁入り道具の数々は、クルドの部族長の力と豊かさを見せ付けるに十分だったそうです。結婚式はスルタン・アブドュルハミットに贈られた三階建ての屋敷で、三日三晩にわたって繰り広げられました。

 
 海辺のお屋敷も、スルタン・アブドュルハミットに贈られた土地の上に建てたものです。その頃、バルカン半島で起きた騒乱から逃れたジプシーたちが、次々とイスタンブールに移民としてやってきていました。これを円満に解決したのがキャーミル・パシャで、彼らに自分の土地の一部への定住を許可したのでした。
 ところが、疑り深いスルタンの決定によって、キャーミル・パシャは突然追放の身となりました。マニサ(アナトリア西部)への流刑の旅にはハフィゼ夫人も同行しました。もともと調子の悪かったパシャは、辛く長い旅ののち、マニサで息を引きとりました。スルタンの気が変わり、放免されたという知らせを持って使いが到着したのは、死の翌日のことです。
 これらの事件は、ほんの2年前に起こったことでした。


 キャーミル・パシャは父親アリ・パシャの影響でメヴラーナ教団に属し、西洋的かつ開明的でモダンな考えの持ち主でした。3人の息子をガラタサライ高校に通わせ、ひとり娘にはフランス語とピアノの個人教授をつけて育てていました。パシャの死のショックからいっそう家の中に引きこもり、野良猫と動物にのみ関心を示すようになったハフィゼ夫人の代わりに、こうしてメフメット・アリが家長として家の者たちの面倒を見るようになっていたのです。