アーンティ・ネリー/オスマン人に嫁いだあるイギリス女性の半生(3)


§オスマン人の嫁として-1


 私たちは一緒に住む家をペラ地区に借り、結婚式はふたつのバイラム(イスラム教の宗教祭)の間に行うことになりました。
 クルバン・バイラム(犠牲祭)は初めての経験でした。義母にバイラムの挨拶に伺うためメフメット・アリと馬車で出かける道すがら、通りのあちこちに犠牲の動物がつながれ、動物が屠殺されるところを初めて目撃することになりました。バイラムの食卓で、義母のハフィゼ夫人は私がこの習慣に嫌悪感を抱いたことを知り、私への親近感を深めたようでした。
 結婚式は、11月のある寒い日、メフメット・アリの屋敷で近親者のみが集まるなか簡素に行われました。私は初めてオスマン式の衣装を身にまといました。イスラムの僧侶に名を問われたとき、メフメット・アリがニリュフェル(蓮)という名をつけてくれました。家族の皆が私たちを祝福し、プレゼントを贈ってくれ、私は幸福でした。


 私たちはクリスマスと新年に合わせてイギリスの家族に会いに行く予定でした。ところが、予定に合う船は見つからず、オリエント・エクスプレスの乗車券も、とうの昔に売り切れていました。
 そんなある夜、結婚式に参列できなかった友人たちを晩餐に招待すると、友人の一人が結婚祝いだといって封筒を手渡しました。それは私たちにとってなによりの贈り物、オリエント・エクスプレスのイスタンブール―パリ往復乗車券だったのです。私はすぐに出発の準備を進めました。家族全員にクリスマス・プレゼントを買い、旅行鞄の支度を整えました。
 三日三晩におよぶオリエント・エクスプレスの旅は、思い出す限りで一番美しい旅でした。レストランは、今まで見たどの高級レストランよりも美しく、食事は素晴らしものでした。真っ白なシーツにはラベンダーの香りが含ませてありました。
 パリから汽車でフランス北岸にある港まで行き、そこから船でイギリスへ渡り、故郷のカーディフに辿り着いたのは、クリスマス・イヴの晩でした。


 クリスマスの晩餐には家族全員が集りました。メフメット・アリの、いまや上手くなった英語を使っての話しぶりや自信にあふれた振る舞いは、ここでも皆に好感を与えました。
 結婚式までに、準備の時間はわずかしかありませんでした。親戚筋に連絡を出し、婚約を破棄した姉のウェディングドレスを手直しして着ることになりました。
12月28日、日曜日。近所の英国国教会の教会で私たちは結婚式を挙げました。
別れの日の前夜、父は私に、遺産の放棄を認める書類にサインさせ、同時に金貨の入った袋を手渡しました。私は家族から永久に別れ、完全にオスマン人の妻として生きることを宣告されたかのように感じました。