『奴隷商人―チューリップ時代に咲いたひとつの愛の物語』を読む(1)

EŞİRCİBAŞI




 オルハン・パムックも『イスタンブール』で一章を割いた、歴史研究家・蒐集家にして歴史小説レシャット(レシャッド)・エクレム・コチュ。彼の作品を一度読んでみたいと思っていたのだが、今日の今日まで後回しになっていた。
 とりあえず、現在翻訳中の歴史小説の参考もかねて、もっともタイトルに心惹かれた『奴隷商人(Esircibaşı)』と『イェニチェリ(Yeniçeriler)』の二冊を発注したのだが、『イェニチェリ』の方は品切れとのことで、今回は『奴隷商人』だけ紹介しようと思う。



〔書  名〕ESİRCİBAŞI (仮題:『奴隷商人―チューリップ時代*1に咲いたひとつの愛の物語』)
〔著  者〕Reşad Ekrem Koçu (レシャット・エクレム・コチュ)
〔出 版 社〕Doğan Kitapçılık
〔出 版 年〕2004年第3刷 (初版Net Kitabevi 1944年)
〔頁  数〕129ページ



 オスマン時代のイスタンブールにおいて、奴隷制と奴隷売買は19世紀の半ばになって、ようやく問題視されはじめた。しかし、完全に廃止されるのは、19世紀末のことであった。19世紀以前には、奴隷売買はオスマン帝国でもっとも利益をもたらす商売のひとつであり、帝国の基盤を支えるものに他ならなかった。
 レシャット・エクレム・コチュは、1944年に初版の出された『奴隷商人』において、この奴隷売買の頂点に位置する人物の生活を物語ってみせた。

*1:1718年に始まり1730年に終わる一時代の通称。スルタン・アフメット3世、大宰相“ネヴシェヒル出身”ダーマット・イブラヒム・パシャの時代にあたり、西洋趣味と耽美主義、道楽が追求された時代として知られる。「チューリップ」の名は、この時期のイスタンブールでチューリップ栽培が流行したことに由来する。詳しい解説がウィキペディアで読める。→チューリップ時代

Cucumis「暗黙のルール」違反を犯す


 Cucumisからもそろそろ足を洗い、翻訳作業に本腰を入れねばならない頃なのだが、深く考えもせず突っ込んだ片足を抜くに抜けないでいる。(Cucumisネタは、今度こそ最後にしたい
 前回のエントリーでCucumisの審査のシステムについて触れたが、どうやら私は、この審査の「暗黙のルール」違反を犯して一部の会員から顰蹙を買ってしまったらしい。そのために、名誉挽回、というわけでもないが、ケチをつけていると取られないように、最大限の婉曲表現を心掛けながら、投稿された訳文をより良くするための協力を、もうしばらくの間することにしたのである。
 だからこの手のコミュニティは苦手なのだが、例えば「足跡を残してくれた相手のページには自分も足跡を残してあげる」とか、「コメントを残してくれた相手には、同じようにコメントを残す」とか、「リンクしてくれた相手には自分もリンクしてあげる」とか、その他もろもろ、日常生活での交友関係以上にわずらわしい暗黙のルールがここにもでんと居座っていたのだ。


 Cucumisの訳文審査システムは、こうである。翻訳の意味が正しいか/間違っているか/分からないか、の三項目のいずれかをクリックし、「間違っている」を選択した人は、管理人が判断しやすいようその根拠を所定の欄に書き込むようになっている。私は、自分があくまで思ったとおりに―間違っていると思えば、その通りに―評価してきたのだが、実は各翻訳には詳細ページがあり、そこには訳文の正誤についての議論を戦わすことのできるメッセージ・フィールドがあるということに遅まきながら気づいた。そこで管理人に忠告されたのだ。


 ・「意味だけでいい」という依頼に、大文字・小文字の取り違えや語順など細かいことは言わないでほしい。そういうことは管理人がチェックする。
 ・もし正した方がいいと思う点があったら、まず、このメッセージ・フィールドを使って指摘してほしい。その後で翻訳者がなお正していない場合に初めて、その訳文を拒否できるチャンスが与えられる。(いきなりダメだしをするな)
 ・他の仲間に対しもう少し配慮してほしい。(言葉に気をつけろ。もしくはもっと大目に見ろ)そうすれば、他の仲間もあなたの翻訳に配慮してくれるだろう。(でなけりゃ、あなたの翻訳は誰も評価してやらないよ)


 というわけで、サイト内ページの利用の仕方と暗黙のルールを知らなかったばかりに、大いなる顰蹙を買っていたようなのだ。翻訳を上げても評価してもらえないのも、つまりは総スカンを食っていた、ということなのかもしれない。だが、このような暗黙のルール、エチケットは、明文化してあるわけでもなく、常連にしか分からない「見えない掟」のようなものだ。新参者の私は、あくまで原文の意味に忠実に、自然な語順でより自然な表現であるべきと、つまり投稿される訳文は「完成品」であるべきという視点で評価していたのであった。自分のためではない。私はポイントにも関心はないし、エキスパートにもなりたくない。翻訳を依頼した人のこと、その人が訳文を利用する時に困らないことを考えて、である。少なくとも、ラブレターやプロポーズの言葉、指輪に刻むメッセージ、刺青用の文句に誤訳はあってはならないだろう。


 最後にもうひとつ、いまだ確証が掴めていない暗黙のルールがある、ようだ。おそらく「ネイティヴが翻訳してはいけない」ということ。なぜかターゲット言語がトルコ語の場合でも、トルコ人は手を出さず、私を含めネイティヴでない人間が翻訳している状況がある。つまり、ネイティヴでない会員にこそ翻訳の機会を与えよう、ということなのかもしれない。


 やはりCucumisは、「翻訳練習をしたい人」と、「自分の翻訳を添削してほしい人」と、「自分の翻訳にOKを出してほしい人」のコミュニティなのだ。「翻訳を依頼する人」のことは二の次なのである。
 

Cucumisに飽きる


 とかく飽きっぽい人間ではあるが、なんともはやCucumisにも早々に飽きようとしている。
 何であれ使ううちにその欠点や、自分にとっての有用性がはっきりと見えてくるものだが、2週間参加してみて、「なんだか面白くない」と感じはじめた。整理してみるに、以下のような点が原因になっているように思う。


・自分が読解できるソース言語(翻訳元の言語)と翻訳できるターゲット言語(翻訳先の言語)の組み合わせが極めて少ない。
・訳文を上げても、審査がいっこうに通らない。というのも、この言語の組み合わせを審査できるエキスパートがいない。
・どう見ても原文のニュアンスが反映されていない、あるいは語順を含め明らかに文法的に不自然な点があるのに、「正しい」と評価してしまう会員が少なくない。
・その理由はというと、馴染みの会員同士が互いの訳文にケチをつけないよう気遣い合っているふしが伺える。さもなくば、正誤を厳密に判断できるレベルに達していない。
・そもそも翻訳できるレベルにないのに、腕試しか練習台として利用している会員が少なくない。
・つまり、全体的に翻訳の質がひどく低い。


 ネットコミュニティの良さでもあり、弊害でもあろうが、自分は、馴染みの会員同士の「馴れ合い」には嫌気が出てしまうタイプで、mixiですら長く続かなかった。というわけで、ろくすっぽ訳せないのに、平気で酷い訳文を上げてしまう「素人考え」と、どうせエキスパートが添削してくれるだろうという「甘え」、そして翻訳者とエキスパートの間に漂う「なあなあ感」が少しずつ気に障りはじめた。
 「翻訳してほしい人」と「翻訳したい人」のコミュニティのはずなのに、まるで「自分の翻訳を添削してほしい人」と「ひとの翻訳を添削したい人」のコミュニティのような印象(かくいう自分も、翻訳したくとも依頼がないので、いきおい添削中心になっているのではあるが)。完成品として投稿するよりも、早い者勝ち&ポイントを貯めるが勝ち的な雰囲気。それが良くて参加している人も多いのかもしれないが。


 自分は今のところ「翻訳したい」側にあるが、「翻訳してほしい」側にある会員にとっても、不満はあるに違いない。その最たるものは、何ヶ月経っても訳文が上がってこない、ということだろう。
 だが、その理由の多くは原稿の内容にあると思う。ほとんど素人か(自分も含めて)素人に毛の生えた集団に専門用語の多い文章を、それを前後の文脈も分からないような一部だけ切り取って依頼したところで、自動翻訳でもあるまいし、そうやすやすと上がってくるわけがない。なにしろ、あくまで志次第なのである。
 また、機械翻訳された挙句、まったく意味を成さなくなった訳文を原稿として依頼してくる人もいる。このような酷い原稿は管理人によって削除されることになるが、今日、たまたまこのような依頼原稿が上がっていたので、最後に紹介してみたい。

誰か及びこの誰かが中心をある秒につき作用するために停止するように作るといつ見つけるために注意を払う: それは生命の最も重要な人である場合もある。一見に十字e に、この時に、それら間の強い明るさが同じ、注意深ければあれば: あなたが彼女が生まれた日以来待っているのは人である場合もある。この時の完全なd'3agua に、感知しなさい唇の接触が強ければ、接吻がapaixonante および目なら: voc4es 間で魔法何かはある。最初に及び日の最後の思考がこの人なら、中心を押すために意志が着く一緒にべきならように感謝していれば: 神はあなたにギフトを発注した: 愛。

Cucumisに嵌る

 「只今、鋭意翻訳中」のはずの歴史小説が捗々しくない。このところ一向に集中できないのだ。
 毎日、当て所もなくネットサーフィンを続けた挙句、暇つぶしに、と久々に覗いてみた無料オンライン翻訳サイト「Cucumishttp://www.cucumis.org/translation_6_w/についつい嵌ってしまった。
 翻訳に限らず外国語に関心をお持ち方や、無料の翻訳サイトを探してらっしゃる方々はご存知だろうが、機械によらない、有志の会員*1による“人力”翻訳サイト(いわば翻訳に特化した「教えて!goo」や「Yahoo!知恵袋」、「人力検索はてな」のようなもの)である。


 先月末のこと、kudoZ(proZ*2のコンテンツの一つで、用語の意味や訳語についての質問コーナー)も同様だが、トルコ語―日本語間の翻訳需要は驚くほど少ない(年に数件)のが当たり前なので、ほんのほんの冷やかし気分で覗いてみたら、偶然にもトルコ語から日本語への新規の翻訳依頼が入っているのに気づいた。そこで早速、会員登録し、訳文を投稿してからこの10日間というもの、暇ができるとついつい新規依頼はないかと覗いてみるのが癖になってしまった。
 とはいえ、トルコ語から日本語へ、日本語からトルコ語への直の翻訳に至ってはほとんど皆無、という状況なので、読める言語として英語を追加。(それでも、トルコ語→英語の需要に比べると英語→トルコ語の需要はがくんと落ちる)すると、訳文の審査*3の依頼も回ってくるようになり、ますます病みつきに・・・という次第である。


 意外にも、Cucumisにはトルコ人会員からの翻訳依頼がひっきりなしに投稿されている。愛のメッセージが多いのはいかにも(苦笑)だが、ちょっとした短文の翻訳練習にはもってこいである。
 なによりも魅力的なのは、非常に活気があり、新規投稿が引きもきらないこと。また、管理人がこまめに目を配っているらしく、今日はメールボックスに管理人からのメッセージを発見して驚いた。会員の投稿した訳文にざっとであれ、いちいち目を通しているのであろうか?

 翻訳の相互交換・相互協力がこのサイトの趣旨であり、翻訳してポイントを貯め、貯めたポイントを使って翻訳依頼するというのが元々のシステムだったらしいが、今ではポイントの借り出しができるようになり、多言語を扱えない依頼者にも門戸開放されたらしい。
 もし、日本語−トルコ語のオンライン翻訳サイトをお探しの方で、お急ぎでない方*4がいらしたら、一度利用されてみてはいかがだろうか?もしかしたら、私が翻訳させていただくことになるかもしれないが・・・・。

        → Cucumis 

 ちなみに翻訳の質はというと、トルコ語→英語の場合は今ひとつ、と言わせていただこう。英語ネイティヴでない会員(特にトルコ人)が翻訳練習代わり?にじゃんじゃん投稿しているような節がうかがえるのだ。(かくいう私も、憚りもせずトルコ語訳を上げてしまっているわけだが・・・)

*1:2008年4月現在、会員数は10万人を越え、常時50〜100人の会員がアクセスしているのが見て取れる。

*2:プロ用翻訳サービス・ディレクトリ・サイトhttp://www.proz.com/

*3:会員同士、他人の訳文を審査しあうシステムになっており、否決された翻訳は再度翻訳依頼に回る。

*4:審査が通るまで、非常に時間がかかるのだ。というのも、Cucumisにはトルコ語・日本語の双方に通じているエキスパートがいないせいである。

トルコ語「ひとこと翻訳」受け付けます

 検索サイトを通じて拙ブログを訪問してくださる方のうち、「トルコ語 ○☆×□」というキーワードで、要するに辞書機能、自動翻訳機能を探して来られる方が少なくない。
 日本語のある単語をトルコ語に置き換えるとなんという言葉になるのか、あるいはその逆で、トルコ語のある単語が日本語ではどんな意味になるのか、知りたがっている方々が常にいらっしゃるのである。


 そこで、ごく一般的・日常的な単語、フレーズに限り、コメント欄に自由に質問を書き込んでいただけるよう、「ひとこと翻訳」のページを不定期的に設けることにした。ブログのトップにくるよう、とりあえず4月1日にしてあるが、冗談のつもりではないので、ご心配なく。
 なお、(こんなブログを見てらっしゃる方もいらっしゃらないだろうが、念のため)プロの方(翻訳者)からの丸投げ質問と、専門用語のご質問はご遠慮願いたい。プロの方は基本的に自分で調べるのが原則。それで報酬を得てらっしゃるのであるし、専門用語についていえば、用語集作成だけでも立派な飯の種(1語100円くらい)になるのである。ご理解いただきたい。


 とはいえ、だ〜れも書き込まない可能性もあり。1回限りで、文字どおりエイプリル・フール化するかも?

日本語-トルコ語オンライン辞書の精度は、いかほど?(2)

 前回に続き、ごくごく単純な単語ばかり選んで比較してみることにする。
 せっかくだから、この1週間に拙ブログを訪問してくださった方々が用いられた検索キーワードの中から、「愛」「犬」「兵士」の3つを選ぶことにした。
 同じく、上段が「みんなで創る辞書」http://jptr.org/index.php?ft=true、下段が「公称20万語の不思議辞書」http://cgi.geocities.jp/abelinternational/cgi/dicjt.cgi?である。


 まずは「愛」から。

愛人 [無, 無] あいじん(aijin) metres, sevgili
愛 [無, 無] あい(ai) aşk
愛顧 [一般, 名詞] あいこ(aiko) lütuf; himaye; sürekli müşteri
愛してる [無, 無] あいしてる(aishiteru) seni seviyorum
愛国心 [無, 無] あいこくしん(aikokushin) yurtseverlik
愛 [無, 無] あい(ai) sevgi, aşk
愛着 [無, 無] あいちゃく(aichaku) bağlılık, sadakat, sevgi
愛読する [無, 無] あいどくする(aidokusuru) severek okumak
愛情 [無, 無] あいじょう(aijou) aşk, sevgi
愛国 [無, 無] あいこく(aikoku) vatanperver, yurtsever
愛敬 [無, 無] あいきょう(aikyou) sevimli
愛らしい [無, 無] あいらしい(airashii) sevimli, zarif, hoş
愛妻 [無, 無] あいさい(aisai) sevgili karısı
愛想 [無, 無] あいそう(aisou) sevimli, dost, lütufkar, iltifat
愛憎 [無, 無] あいぞう(aizou) aşk ve nefret
愛姫 [無, 無] みかん(mikan) mandalina
愛育 [無, 無] あいいく(aiiku) sevgi şefkatle büyütme
愛煙家 [無, 無] あいえんか(aienka) sigara içicisi
愛玩 [無, 無] あいがん(aigan) sıvazlama, okşama
愛器 [無, 無] あいき(aiki) sık kullanılan alet
愛嬌 [無, 無] あいきょう(aikyou) çekici, büyüleyici
愛郷心 [無, 無] あいきょうしん(aikyoushin) memleket aşkı, memleketine bağlılık
愛吟 [無, 無] あいぎん(aigin) severek seslendirme, severek söyleme
釘 [無, 無] あいくぎ(aikugi) iki ucu sivri çivi
愛くるしい [無, 無] あいくるしい(aikurushii) sevimli, şirin
愛犬 [無, 無] あいけん(aiken) evcil köpek
愛犬家 [無, 無] あいけんか(aikenka) köpek sevdalısı
愛護 [無, 無] あいご(aigo) korumak
愛好 [無, 無] あいこう(aikou) sevme
愛校心 [一般, 名詞] あいこうしん(aikoushin) okul sevgisi
愛妻家 [無, 無] あいさいか(aisaika) seven koca, adanmıs koca
愛児 [無, 無] あいじ(aiji) sevgili çocuk
愛称 [無, 無] あいしょう(aishou) takma ad
愛唱 [無, 無] あいしょう(aishou) sevme
唱歌 [無, 無] あいしょううた(aishouuta) sevilen şarkı, favori şarkı
愛書家 [無, 無] あいしょか(aishoka) kitap sevdalısı
愛鳥 [無, 無] あいちょう(aichou) sevgili kuş
愛鳥家 [無, 無] あいちょうか(aichouka) kuş sevdalısi
愛読 [無, 無] あいどく(aidoku) severek okuma
愛馬 [無, 無] あいば(aiba) evcil at
愛慕 [無, 無] あいぼ(aibo) sevme
役 [無, 無] あいやく(aiyaku) çalısma arkadaşi, iş arkadaşi
愛用 [無, 無] あいよう(aiyou) favori, en beğenilen
愛憐 [無, 無] あいれん(airen) şevkat
愛おしい [無, 無] いとおしい(itooshii) sevimli, değerli, sevilmeye layık, sevilesi, tapınılacak
愛妻弁当 [無, 無] あいさいべんとう(aisaibentou) hanımın beyi için özenerek yaptığı kumanya


 このあたりで、利用者参加型辞書の欠陥が見えてきた。同じ言葉が重複して登録されてしまう可能性がある他、登録者の誤解、誤訳がそのまま反映されてしまうのである。
 その最たるものは16行目。「愛姫」=「みかん」=「mandalina」とは。。。
 もしや「愛媛みかん」から「愛媛」=「みかん」ときて、「愛媛」→「愛姫」となったのだろうか?と想像を働かせてみたが、念のため「愛姫 みかん」で検索をかけてみて驚いた。この名前そのままの女性イラストレーターがいらっしゃるのだそうだ。
 いずれにしても、完璧なる誤解か、悪い冗談か。
 また24行目の「愛釘」は「合釘」、42行目の「愛役」は「相役」の間違いであろう。トルコ人利用者ならば、このような漢字の間違いは十分ありうる。
 いずれにしても、管理者不在なのか、2日前にこれらの修正依頼を出しておいたのだが、現時点ではまだ修正されていないようだ。
 もう一方はどうだろうか。

愛(J)
=ai [T]amor
愛きょう毛(J)
=aikyou ke [T]lovelock
愛きょう者(J)
=aikyousha [T]hoş insan
愛されない(J)
=ai sarenai [T]unendeared
愛すべき人物(J)
=ai su beki zinbutsu [T]sevimli karekter
愛すべき少女(J)
=ai su beki otome [T]sevimli kız
愛すべき男(J)
=ai su beki otoko [T]sevimli adam
愛すべき隣人(J)
=ai su beki rinzin [T]sevgili komşu
愛するもの(J)
=ai su rumono [T]gözde
愛する人(J)
=aisuru hito [T]bebek
愛する伴侶(J)
=aisuru hanryo [T]sevgili yardımcı
愛する友(J)
=aisuru tomo [T]seven arkadaş
愛のささやき(J)
=aino sasayaki [T]nothings
愛のない結婚(J)
=aino nai kekkon [T]loveless evlilik
愛のむちの(J)
=aino muchino [T]dayanıklı sevgili
愛の交わり(J)
=aino mazi wari [T]aşıkane kongre
愛の儀式(J)
=aino ~gishiki [T]aşıkane törenler
愛の印(J)
=aino shirushi [T]sevgili token
愛の小道(J)
=aino komichi [T]sevgililerin patikası
愛の巣(J)
=aino su [T]sevgili yuvası
愛の権化(J)
=aino gonge [T]sevgili cisimlendirme
愛の欠如(J)
=aino ketsujo [T]unlove
愛の歌(J)
=aino uta [T]chanson d'amour
愛の泉(J)
=aino izumi [T]fıskiye
愛の爆弾(J)
=aino bakudan [T]sevgili bombası
愛の神(J)
=aino kami [T]kör Tanrı
愛の行為(J)
=aino koui [T]flört
愛の輝き(J)
=aino kagayaki [T]işık sev
愛らしい声(J)
=airashii koe [T]çocukça sesler
 ―以下省略―


 とまあ、またしても「愛」すらトルコ語訳されていないというのに、2行目にいきなり「愛きょう毛」と淫靡なニュアンスの珍語が登場。以下、このような調子で延々と何ページも続き、そのほとんどは、まともなトルコ語にすらなっていない。語彙数を誇る意味などまるきりないのは明らかであろう。

 次に「犬」はどうだろう。

犬 [動物, 可算名詞]   いぬ(inu)    köpek

 「可算名詞」は余計だが、他は完璧である。
 さて、もう一方は?

犬(J)
=inu [T]araba parkı
犬かき(J)
=inu kaki [T]köpek kısa küreği
犬くぎ(J)
=inu kugi [T]köpek tırnağı
犬くぎ打ち機(J)
=inu kugi uchiki [T]sivri uç sürücüsü
犬くぎ抜き機(J)
=inu kugi nukiki [T]puller çak
犬ぞり(J)
=inu zori [T]dogsled
犬ぞり使い(J)
=inu zori tsukai [T]musher
犬っころ(J)
=inukkoro [T]kiraz açgözlüsü
犬の(J)
=inuno [T]kanin
犬のなめし革(J)
=inuno nameshi kaku [T]dogskin
犬のふん(J)
=inuno fun [T]köpek pupası
犬のような(J)
=inuno youna [T]köpek gibi
犬のフン(J)
=inuno FUN [T]doggie depoziti
犬の一本糞(J)
=inuno ippon kuso [T]köpek kütüğü
犬の保護施設(J)
=inuno hogo shisetsu [T]köpeklerin evi
犬の唾液(J)
=inuno daeki [T]köpek salyası
犬の散歩(J)
=inuno sanpo [T]yürüyen köpek
犬の毛(J)
=inuno ke [T]köpek saçı
犬の水飲み場(J)
=inuno mizu nomi ba [T]köpek kolu
 ―以下省略―

 まずは「犬」=araba parkı(車の公園=駐車場(一般にはotoparkıという))、あるいは「犬かき」=köpek kısa küreği(犬の短い櫂/スコップ)というのからして、意味不明。こんな調子であと40語ほど続くが、どれもこれも爆笑ものである。

 最後の「兵士」を見てみよう。

兵士 [無, 無]  へいし(heishi)  asker

 まったく問題なし。
 もう一方は?

兵士(J)
=heishi [T]kariyer erkek çocuğu
兵士の装備(J)
=heishino soubi [T]askerin donanımı

 「兵士」=kariyer erkek çocuğu(専門職/経歴の男子)だそうだ。



 こうして比較してみると、わずか17000語の語彙数しかないにせよ、「みんなで創る辞書」は人間の思考が関与しているだけに、無駄がなく比較的正確であることが分かる。利用者が良心と細心の注意を働かせて語彙を増やしていく限り、これから必要十分な辞書に発展していく可能性はある。
 私も早速いくつかの基本単語を新規登録しておいた。こちらをご覧の方にも、よろしければブックマークして利用してみていただきたい。
      Japonca Türkçe Sözlük

日本語-トルコ語オンライン辞書の精度は、いかほど?(1)

 「ひとこと翻訳します」宣言から約1週間。この間にも、「トルコ語+自動翻訳」「トルコ語 翻訳」「トルコ語 ☆○※□」といったキーワード検索の結果、このブログに辿り着いた方が何人もいらっしゃるのだが、やはり、質問の書き込みをされる方はまだ現れない。ヒットしたページだけ覗いて直帰されてしまい、最新の記事には目が留まらないせいだろうと思う。


 ところで、私が仕事・日常生活問わず使用している辞書類であるが、土日辞典、土土辞典は紙辞書、土英辞典、日英辞典のほか、専門用語の検索はすべてオンラインである。が、考えてみれば、今の今まで、トルコ語・日本語のオンライン辞書を探してみたことはなかった。翻訳に通用するほど精度の高い辞書が存在するとは、端から期待していないせいである。
 果たしてトルコ語・日本語のオンライン辞書が存在するのか、あったとして、それはどれほど正確で「使える」ものなのか、これぞいい機会とばかりに探してみることにした。


 そして、それぞれ別の意味で非常に興味深いふたつのサイトを見つけた。
 ひとつはこちらhttp://jptr.org/index.php?ft=trueで、用語数は現在わずか17000語強ながら、大まかに目を通してみる限り、「トルコ語・日本語のオンライン辞書の割りには」比較的訳語が正確であり、双方向からの検索が可能。さらに面白いのは、読者が自由に語彙を追加することができ、また既訳の訂正・変更依頼をすることもできるという「利用者参加型」の「みんなで創る辞書」だということである。
 そしてもうひとつは、「公称20万語」という触れ込みで、土日がこちらhttp://cgi.geocities.jp/abelinternational/cgi/dictj.cgi、日土がこちらhttp://cgi.geocities.jp/abelinternational/cgi/dicjt.cgiになるサイトだが、確かに語彙数は豊富ながら、その実、いまだかつて見たことも聞いたこともない熟語が頻出する。一見もっともらしいので、知らないのは自分が無知ゆえなのか?という錯覚に陥ってしまう、不思議な辞書サイトである。この「不思議感」の原因は他言語(英語、フランス語等)からの重訳のせいだ、ということにすぐに気づきはしたのだが。


 そこで、このふたつのサイトの精度を、いくつかの単純な単語をもとに比較検証してみることにした。上段が17000語の「みんなで創る辞書」、下段が20万語の「不思議辞書」である。



 まずは基本の基本、挨拶ことばから。

こんにちは [一般, 名詞]  こんにちは(konnichiha)   merhaba, selam, iyi günler

 一方はまったく問題なし。(名詞・・・じゃないけど目をつぶろう)
 さて、もう一方は?

こんにちは(J)
=konnichiha [T]aloha
こんにちは!(J)
=konnichiha! [T]bon jour

 お分かりいただけるだろうか。この程度の基本用語がまったく押さえられていないのだ。
 次はどうだろう。

母親 [無, 無] ははおや(hahaoya)  anne

 これも問題なし。
 さて、もう一方は?

母親(J)
=hahaoya [T]mumsey
母親になる(J)
=hahaoyani naru [T]motherhood başlatmak
母親のキス(J)
=hahaoyano KISU [T]anneliğe özgü öpücük
母親の世話(J)
=hahaoyano sewa [T]annenin hoşlanma
母親の代役(J)
=hahaoyano daiyaku [T]anneliğe özgü yedek
母親の心遣い(J)
=hahaoyano kokorodukai [T]anneliğe özgü hoşlanma
母親の賛同(J)
=hahaoyano sandou [T]anneliğe özgü onaylama
母親中心の(J)
=hahaoya chuushinno [T]matricentric
母親代理人(J)
=hahaoya dairinin [T]anne surrogate
母親学級(J)
=hahaoya gatkyuu [T]annelerin sınıfı
母親感覚(J)
=hahaoya kankaku [T]motherly içgüdüsü
母親殺し(J)
=hahaoya koro shi [T]ana katli
母親街道(J)
=hahaoya kaidou [T]mommy izi
母親言葉(J)
=hahaoya kotoba [T]anne konuşması
母親運動(J)
=hahaoya undou [T]annelerin hareketi


 ご覧のように、ごくごく基本的な単語である「母親」すらトルコ語に訳されていないばかりか、ことさら「一般的でない」語彙ばかり集めたかのような不可思議さ。トルコ語に訳されているものも、人間の目が通されていない機械翻訳であることは明らかである。
 

 もういくつか例を見てみたいのだが、長くなるので、続きはまた次回―