『白い城』より(2)


第3、第4センテンスより。

Sanırım, yabancı bir el, kitabın birinci sayfasına, sanki beni daha da meraklandırmak için, bir başlık yazmıştı: “Yorgancının Üvey Evladı”. Başka bir başlık yoktu.

察するに外国人の手だろう、本の第一頁に、まるで私の関心をもっと惹こうとするかのように題名が書かれてあった。「蒲団屋の義理の息子」それ以外の題名はなかった。

写本の最初の一葉には、作者とは別の者の筆跡で『布団職人の継子』と見出しが付されただけで、他に表題らしきものがなく、それもわたしの好奇心を一層かきたてた。


今度は、原文の2文が1文に統合されている。が、おそらくそのためだろう、Sanırım=思うに/察するにsanki=まるで/あたかも、のニュアンスが宮下訳では排除されてしまっている。そして、一読したところ、拙訳と宮下訳の両方ともほとんど意味的な差異はないように思えるが、次に説明するように、実はこの一文の意味するところが微妙にずれてしまっているのだ。

すなわち、原文では「まるで私の関心をもっと惹こうとするかのように題名が書かれてあった」とあるのに対し、宮下訳では「と見出しが付されただけで、他に表題らしきものがなく、それもわたしの好奇心を一層かきたてた」もう少し言い換えるならば、「見出し以外に表題らしきものはなく、それがわたしの好奇心を一層かきたてた」となり、視点が原文とは異なってしまっているのである。


なお、私のyabancı bir elの解釈はもしかしたら甘かったのかもしれない、と宮下訳を見ていったんは悩んだ。Yabancıにはもちろん、外国の/外国人/よそ者、の意味があるが、同時に、見慣れぬ/見知らぬ、という意味もある。宮下氏はしたがって、本文を書いた作者の筆跡とは違う、見知らぬ筆跡という意味に解釈されたわけである。一方、私の解釈では、「わたし」はこの時点ではまだ本を開いていないので、一見して推測されるのは外国人の筆跡だろうということであった。



察するに外国人の筆跡で、本の第一頁に、あたかも私の好奇心を一層かきたてるように題名が書かれてあった。「蒲団屋の義理の息子」それ以外の題名はなかった。