『白い城』より(3)

第6センテンス。

Çok hoşlandığım, ama bir deftere de kopya etmeye üşendiğim için, elyazmasını, genç kaymakamın bile “arşiv” diyemediği o mezbeleden, beni gözaltında tutmayacak kadar saygılı hademenin güvenini kötüye kullanarak, kaşla göz arasında çantama tıkıp çaldım.

たいへん気に入ったが、ノートに写しとるのさえ面倒だったため、若き郡長までが「古文書館」というのをためらうあのゴミ捨て場から、私を監視下に置くにはあまりに礼儀正しい用務員の信頼を悪用して、手記を瞬く間にカバンの中に押し込んで盗んだのだった。

わたしはこの発見に大喜びしたが、かといってノートかなにかに写し取るのは面倒だった。そこで、郡役所の若い所長も”文書庫”と呼ぶのをはばかる紙くずの山から、これを拝借することにした。わたしを見下ろすことすら遠慮する、礼儀正しい雑用係の信用をいいことに、すきを見て手記を鞄に押しこんだのである。

原文は長い一文、それが宮下訳では3つの文に分割されている。読者にはより分かりやすくなり結構なのだが、原文のリズムはこうなるとほとんど残っていない。


なお宮下訳のうち、ここでは3箇所に物言いをつけたい。

まずhoşlanmakは、気に入る/好きになる 、という程度の意味なので、ここでは単に「本が気に入った」ということだろう。なぜ手記を失敬する気になったかといえば、一つにはçok hoşlandığım için =非常に気に入ったため、であり、もう一つにはbir deftere de kopya etmeye üşendiğim için=ノートに写しとるのさえ面倒だったため、である。「この発見に大喜びした」と、原語の意味を大幅に越える余分な情報が付け加えられた場合、この並列関係がうまく成り立たないのではなかろうか。

kaymakam はトルコでは県知事と並び、官選による(国によって指名される)郡の長であり、郡長あるいは郡知事と訳せる。市長を市役所の所長とは呼べないのと同様、郡長(郡知事)は郡役所の所長とは間違っても呼べない。

gözaltında tutmakは一般的には、(被疑者を)勾留する、あるいは(仮釈放や執行猶予中に)保護観察下に置く、という意味である。döküntüといいmezbeleといい、この手の皮肉を効かせた表現はパムックの特徴の一つでもある。もちろん「見下ろす」は間違いで、göz+altında (目の下で) という語から早合点してしまったものと思われる。



あまりに気に入ったため、かといってノートに写しとるのさえ面倒だったため、若き郡長さえ「文書庫」というのをためらうあのゴミ捨て場から、私を監視下に置くには礼儀正しすぎる用務員の信頼を悪用して、手記を瞬く間にカバンの中に押し込んで失敬したのだった。