文芸翻訳はこれでいいのか―オルハン・パムック『白い城』邦訳に思う


物語/ストーリーが伝わればそれで十分なのだろうか。物語が読みやすい日本語で再現され、誤訳が最小限に止められていれば、作者独特の文体や語り口は無視されてもよいのだろうか。
あるいは、作者自身が実際には書いていない言葉やフレーズがそこここに挿入されていたとしたら―。


現役の日本語講師であるにもかかわらず、その訳文が「日本語になっていない」等とこき下ろされることの多かったこれまでの翻訳者、和久井路子女史から、海外文学ファンやパムック・ファンに大いに期待と不安を抱かせつつ、オスマン朝史の研究者、宮下遼氏(父親であるフランス文学者、宮下志朗氏との共訳とされる)へと晴れて翻訳者交代となった本作品。早速、読了された読者のブログやtwitter上で公開されたいくつかの感想に目を通す限りでは、まずまずの及第点が与えられた翻訳であることが窺える。


昨年12月の出版以来、目を皿のようにして『白い城』の評価・感想・レビューを追いかけた。トルコ語文芸翻訳者を目指す者として、また2006年の10月から12月にかけ、翻訳練習と銘打って『白い城』の試訳を公開したことのある者として、出版社が白羽の矢を当てた宮下氏の手になる翻訳文の内容・質はどのようなものなのかという点に、自然な心理として注意を払わずにはいられなかったからである。内心を包み隠さずに言うならば、出版レベルにあると藤原書店が認めたことになる宮下氏の翻訳に、自分の翻訳は(いまだ実務翻訳の勉強中であった約3年前の訳文ではあるが)匹敵できているのかどうか、検証したいという気持ちもあった。おそらく研究者、しかもオスマン朝史専門であれば、私が苦心して訳語を引っ張り出した箇所にも、難なく正確な訳語を当て嵌めているはずだろうし、そうでなければいけないはずだ。いったいどんな訳語が採用されたのだろう、自分は上手く訳せていただろうかと、試験の模範解答を見て自分の試験用紙を採点する時のような不安と緊張感に包まれながら。
もちろん、抜粋された訳文があれば対訳し比較検証してみる狙いであった。Amazonの「なか見!検索」で冒頭の一部が公開されるのを心待ちにしていたところ、数日前、ようやく確認できたので、早速抜粋ページを開いてみた。

そして、軽い失望を覚えた。宮下氏の翻訳に「負けた」とか自分の誤訳を大量に見つけた、というのではない。(もちろん誤訳はある。誤訳か誤訳の可能性が高い箇所は、宮下氏の訳文と突合せることで、「序」中、3箇所はあることに気づいた。中には初歩的な誤訳もある)

まずはパムックの、あの長文。修飾詞がいくつもいくつもぶら下がる独特の長文が細切れに切断され、巧妙に前後が入れ替えられ、妙にすっきりとまとめられてしまっているのだ。一見、「読みやすい」。これなら確かに「読みやすい」だろう。が、これが、果たしてあの「オルハン・パムック」なのか?という問いが自然に沸いてくる。長文でありながら、声を出して読めばリズミカルで抑揚に富んだ文章。この長文とリズムあってのパムックであり、この長文がパムックの味わいの一つでもあると考える私は、『白い城』試訳時に、自分に一つのルールを強いていた。文章の長さは極力変えないこと。いかに長文であれ文を途中で切ったりせず、助詞や接続詞の使い方を工夫してそのままに訳出すること。そしてトルコ語のリズムや抑揚も最大限日本語の訳文に反映させること。そのため、私が行ったのは、いったん訳出した後で、トルコ語・日本語の順で声を出して一文ずつ朗読し、リズムや抑揚を確かめることであった。訳出を進めるうち、怠慢からその努力を怠るようになったものの、冒頭から数ページは特にこの点に注力したので、尚更、宮下氏の訳文を読んで拍子抜けがしたのである。
物語の内容、盛り込まれている情報は変わらない。しかし、パムックの文章という気がしないのだ。これでは和久井訳の方が、パムックの文体を紹介する意味では、はるかに勝っていたのではないかとさえ思えてくる。


第2点として、原文にない補足説明と解釈が訳文に盛り込まれ、文が膨らまされている点。実務翻訳の暗黙のルールに縛られているせいだろうか、原文に「何も足さない、何も引かない」のを旨とする私には、「こんなことをしてもいいのか!?」という疑念が沸く。「意訳」という解釈もあるが、原文に書かれていない単語やフレーズを、想像あるいは類推、あるいは読者への親切という言い訳のおせっかいによって追加したり、その必要性も見当たらないのに、ある単語を似て非なる他の意味を持つ単語にすりかえるような身勝手な行為は、文芸翻訳では許されるのだろうか。
あくまで私の憶測に過ぎないが、おそらくこれは、トルコ語の原文を目の前にしている遼氏の仕業ではなく、仏語訳を模範訳として、片っ端から遼氏の日本語訳に赤を入れていっただろう志朗氏の仕業ではないだろうか。研究者として日常的に大量のトルコ語文献に目を通し、歴史家として史料に忠実に対峙しておられるだろう遼氏が、一歩間違えれば誤訳とも受け取られかねないこの手の膨らませ訳を自ら望んで行ったとは考えにくい。研究者・翻訳者の大先輩でもある父親のアドバイスを、若き遼氏には固辞する勇気がなかったのではないか。


この拙ブログを偶然にであれご覧になったトルコ語上級者もしくは翻訳者の方、あるいは『白い城』をいち早く読了された読者の方で、翻訳の質という点で和久井訳との相違に何らかの感想を抱いた方は、上記の2点についてどうお考えになるだろうか。

次回から数回にわたり、「序」部分の対訳(原文−宮下訳−拙訳)によって生まれた疑問箇所を順番に取り上げ、上記のような視点で自分なりに比較検証を試みてみたい。ブログ訪問者の方々にも一緒に考えていただければ幸いである。

(なお、トルコ語文献の「読み」には慣れてらっしゃるだろう宮下氏の訳には、さすがに誤訳は少ないと思われるので、「誤訳か意訳か」というカテゴリーが適切かどうか分からないが、便宜上このカテゴリーに入れておくことにする。)