京都精華大学オルハン・パムック講演会より(2)

Önce ilaç iyi olmalı. İyilikten hakikiliği ve kuvveti anlıyorum. İnanabildiğim sıkı, yoğun, derin bir roman parçası beni her şeyden daha çok mutlu eder ve hayata bağlar.

まず、薬は良いものでなければなりません。「良い」というのは真正で力強いことだと思っています。わたしが信じられる、かっちりとした、密度の高い濃厚な小説作品は、何よりもわたしを幸せにし、人生に繋ぎとめるのです。


薬が[iyi]とは、なによりも「効く」ということであろう。「良い」と訳した都合上だろうか、次の文では構文解釈がおかしくなっている。
[İyilikten hakikiliği ve kuvveti anlıyorum.] とは、「iyilikからhakikilik 、そしてkuvvetを理解するのです」ということで、文法的には至極単純なものである。もしや、「“良い”ということから“真正さ“と“力強さ”を理解する」では意味がとれなかったために、勝手に頭の中で構文を変えてしまったのであろうか。ここは、薬を「効く」と訳すと上手く収まってくれるように思う。


まず、薬は効くものでなければなりません。その効果(ききめ)から、本物であるかどうか、強力であるかどうかが分かるのです。わたしが信頼できるような、中身の詰まった、濃密で、深みある小説の一編は、わたしを何にも増して幸福にし、人生に繋ぎとめるのです。


Ölmemişlerse de bu harika yazarların aramızdaki varlıkları hayaletlere benzer.......Bazen bir süre sonra o yazarın da öleceğini ve böylelikle kitaplarının gönlümüzde daha da yüksek bir yere oturacağını düşünürüm. Ama tabii her zaman böyle olmaz.

まだ死んでいない場合、この素晴らしい作家たちの存在は、わたしにとって幽霊にも似たものです。(中略)時々わたしは、しばらく後にはその作家も死ぬだろうし、そうすればその人の本が心の中でさらに高い位置に昇るだろうと思うことがあります。ですが、もちろんいつもそうだというわけではありません


細かいニュアンスの違いが気にかかる。パムックは、作家とパムック自身の一対一の関係を語っているわけではなく、「私たち」という言葉を用いているのだが・・・。
また、「もちろんいつもそうだというわけではありません」の「そう」の指すところが曖昧である。「時々・・・思うことがあります」が、「いつもそうだ(=思う)というわけではありません」とも受け取れるからだ。
[böyle olmaz]は「そのようなことはあり得ない/そのようにはいかない」という、きっぱりとした否定になる。否定される対象は、「しばらく後にはその作家も死」んで、「その人の本が心の中でさらに高い位置に昇る」こと、である。


死んでいなかったとしても、この素晴らしい作家たちの、私たちの間での存在は、亡霊のようなものです。(中略)時には、しばらくすればその作家も亡くなり、それによって、その作家の作品は私たちの心の内でさらに高い場所を占めることになるだろうと考えることがあります。ですが、もちろん、いつもそのようなわけには行きません


Her gün almam gereken “edebiyat”ın “dozu”, eğer ben yazıyorsam, bambaşkadır. Çünkü benim gibilerinin durumunda, en iyi tedavi, en büyük mutluluk kaynağı, her gün iyi bir yarım sayfa yazmaktır. Otuz yıldır aşağı yukarı her gün on saatten az olmamak üzere bir odada, masamda yazıyorum.

毎日わたしが摂取する必要がある「文学」の「一服」は、自分がものを書いている場合には、まったく違うものになります。というのも、わたしのような人間にとって、一番いい治療、幸福の最大の源は、毎日半ページ、上質のものを書くことだからです。三十年間、ほぼ毎日十時間、机に向かって書いています。


[doz]は服用量、つまり一回分ないし一日分の薬の「量」を意味する。「一服」とはその「一回分の薬を飲む/服用すること」なので、この場合、正確ではない。
また[durum]=状態/病状/症状、 [on saatten az olmamak üzere]=10時間を下回らないように/最低10時間/10時間以上という意味であり、多分に病気や薬の処方に掛けた言葉遣いが用いているのにもかかわらず、これらが訳文には反映されていない。


毎日、わたしが摂取しなければならない「文学」の「服用量」は、もし自分が書いているとすれば、まったく異なったものになります。なぜなら、わたしと同じような人々の症状において、最もよい治療、幸福の最大の源とは、良いものを毎日半ページ書くことだからです。三十年間、ほぼ毎日、最低十時間、部屋の中で、自分の机に向かって書いています。


O gün iyi yazamamışsam ve teselli olacak iyi bir kitabın içinde kendimi kaybedememişsem neler hissettiğimi anlatayım. Kısa bir sürede dünya, gözümde çekilmez, berbat bir yer olur;

その日上手く書けなければ、そして慰めとなる良い本に没頭できなければ、わたしがどう感じるのか、お話しましょう。あっというまに世界は魅力のない、酷い場所になります。


[çekilmez]は、「我慢できない/耐え難い」という意味である。[göz çekici]が「魅力的」という意味になるため、そこから類推して[gözümde çekilmez]で「魅力のない」という成句だと誤解してしまったのだろう。[gözümde...olmak]は、「私の目に・・・のようになる/映る」という意味になる。


その日、上手く書けなかったとしたら、そして慰めとなる良い本に我を忘れることができなかったとしたら、わたしがどう感じるのかをお話しましょう。瞬く間に世界は、わたしの目には、耐え難く忌まわしい場所に映ってしまうのです。


(3)につづく