京都精華大学オルハン・パムック講演会より(1)

すでに1ヶ月が経ってしまったが、先月19日に京都精華大学内で開催されたオルハン・パムック講演会*1のテープを聴く機会があった。


内容は、『父のトランク』に収録された、『内包された作者*2』と題する、2006年にオクラホマ大学で行われた講演を採録した文章のトルコ語および日本語訳の朗読を中心に、パムック氏による英語の説明と質疑応答で構成されている。
なお、英語に関しては逐次通訳者がついているため、氏は自由に自分の言葉で語り得ていたようだが、トルコ語の通訳者は簡単に見つからないからであろう、朗読でお茶を濁さざるをえなかった、という印象である。

読み上げられた日本語訳には、翻訳者の著作者人格権の関係だろうか、和久井女史の訳書ではなく、日本トルコ文化協会側の用意したと思われる訳*3が使われた。とはいっても、訳文の随所に見られる特徴から、和久井女史の訳文が多かれ少なかれ手本となっていることが推測できる。既訳を下敷きとした、いわば協会による「改訳」ということもできるかもしれない。

いくら朗読されたものとはいえ、おそらく訳文の掲載には著作権が絡んでくるであろうから、全文掲載というわけにはいかないだろう。原文と比較検証した結果、幸いにも大きな誤訳は認められなかったが、特に解釈や表現上の工夫という点で訳に疑問を感じた箇所を以下に紹介してみることにする。
それぞれ原文、日本トルコ文化協会訳、試訳の順に掲載する。


Otuz yıldır yazıyorum. Uzun zamandır da bu sözü tekrarlıyorum. Tekrarlana tekrarlana bu söz de doğru olmaktan çıktı, çünkü otuzbirinci yıla geldik.

わたくしは30年間ものを書いています、と長いあいだ繰り返しています。繰り返し言っているうちに嘘になってしまいました。というのも、35年経ったからです


1) [doğru olmaktan çıktı]は、直訳すれば「真実/事実であることから離れた/抜け出た/外れた」ということである。言い換えれば、確かに「嘘になってしまった」という意味にはなろうが、パムックは「嘘になった/嘘になってしまった」=[yalan oldu/yalan olmuş oldu]というような直截な表現をしているわけではないので、なるべくパムックの言葉通りに訳した方がよいのではないだろうか。(しかも、耳から入ってくる言葉として、「嘘」はトーンが強すぎる。実際、私はこの「嘘」の一語に一瞬ギョッとしてしまった)
2) [otuzbirinci yıla geldik]は、文字通り訳せば「(私たちは)31年目にやってきた/着いた/到達した」ということになる。2006年の講演で「31年目」と語っているので、年数の辻褄を合わせるためなら、「33年目」と言い換えてもいいはずだ。朗読者の方がここで「35年」と、おそらくその場になってから変えたのは、この朗読に先立つパムック自身による英語の説明のなかで登場した「35年の経験」という言葉に影響を受けたものと思われる。しかしパムックは、トルコ語で朗読する際、「31年」と読み上げているのである。勝手に数字を変えるのはいかがなものであろうか。


 わたしは30年間ものを書いています。そう、長い間この言葉を繰り返しています。繰り返しているうちに、この言葉も事実から離れてしまいました。というのも、31年目に入ったからです


Benden çok daha üzün bir süredir, yarım yüzyıldır yazan ve buna da dikkat çekmeyen çok parlak yazarlar var. Benim çok sevdiğim, hâlâ dönüp dönüp hayranlıkla okuduğum Tolstoy, Dostoyevski, Thomas Mann gibi yazarların da faal yazı hayatı otuz değil, elli yıldan fazla sürmüş. Otuz yıldan niye söz ediyorum o zaman? Yazarlıktan, romancılıktan, bir alışkanlıktan söz eder gibi söz etmek istediğim için.

わたしよりももっと長い間、半世紀以上もの間ものを書き、そのことあまり言い立てない輝かしい作家たちもいます。わたしが非常に愛している、今でも感嘆しながら何度も読み返すトルストイドストエフスキートーマス・マンのような作家たちの作家生活は三十年どころか五十年以上続いたそうです。では、なぜわたしは三十年という数字を言い立てるのでしょうか?それは、作家であること、小説家であることについて、習慣のように述べてみたいと思っているからなのです。


1) [...e/a dikkat çekmek]は、「・・・に注意を惹きつける」という意味である。故人であれば、本人が直に行える動作ではないので、「・・・に注意を払われない」と受身に訳すことも可能であろう。
一方、「言い立てる」という表現は、「言い張る/強く主張する/喧伝する」というような意味合いに近いだろうか。いずれにしても自らが「ことさらに言い募る」という印象を与え、原文のニュアンスより意味合いははるかに強く(なによりも、意味合いが全く異なる)、主観的かつ感情的な動機があるようにとられる可能性がある。
2) さらに、この同じ「言い立てる」という訳語は、[...dan/den söz etmek]にも用いられている。が、これは単に「・・・について話す/言及する」という意味であり、[...e/a dikkat çekmek]同様、「言い立てる」よりはずっと客観的でフラットな表現である。
なぜ、まったく意味合いの異なる[...e/a dikkat çekmek] と[...dan/den söz etmek]に対し、同じ訳語が当てられているのか理解に苦しむが、両方とも原文の意味からずれてしまっているのが残念である。
3) 「習慣のように述べてみたい」という言い方は妙に曖昧で、読み手によってふたとおりに解釈されてしまう可能性がある。「作家であること、小説家であること」を述べることがいわば「習慣のよう」になっているので、「いつものように」述べてみたいという意味か、あるいは、「作家であること、小説家であること」が「あたかも習慣であるかのように」述べてみたいという意味か、のどちらかである。
しかしこれは、原文を見れば後者以外にありえないことが分かる。[bir alışkanlıktan söz eder gibi]とは「ひとつの習慣について語るかのように」という意味で、訳文ではこの明確な比喩表現が「習慣のように」と端折られてしまったがために、意味がとりにくくなってしまっているのである。


わたしよりもずっと長い期間、半世紀もの間ものを書きながら、そのことには注意を払われない輝かしい作家たちがいます。(中略)それでは、わたしはなぜ30年間について語るのでしょうか?それは、作家であるということ、小説家であるということについて、ひとつの習慣について語るがごとく語りたいと思ったからなのです。


Kaşıkla ya da iğneyle alınan bir ilaç gibi her gün almam gereken edebiyatın, esrarkeşlerde olduğu gibi bazı nitelikleri ve anlamlı bir kıvamı var.

スプーンで、あるいは注射でもって毎日摂取する必要がある文学には、麻薬中毒者が麻薬にこだわるように、いくつかの特徴と意味深い濃度とがあるのです。


[esrarkeşlerde olduğu gibi]とは、「麻薬常習者/中毒者におけるように」という意味である。ここには、原文にはない「麻薬にこだわる」という意味が補足されているが、そもそも「麻薬にこだわる」という表現自体が少々奇妙である。いったい、どのような意味で使っているのであろうか。麻薬常習者/中毒者は、その日、その時をやりすごすために麻薬に頼り、「麻薬なしにはいられない」のであり、パムックは、自分にとっての文学とは麻薬常習者にとっての麻薬と同義だと説明しようとしているに過ぎないのだが・・・。


スプーンで、あるいは注射によって摂取される薬と同じように、わたしが毎日「服用」しなければならない文学には、麻薬常習者における麻薬のように、何らかの性質と意味深い一定の濃度とがあるのです。


(2)につづく

*1:前日18日に京都国際マンガミュージアムにて開催予定だった特別公開講座は、氏の体調不良のため中止となった。翌19日の講演会は精華大生対象のもの。

*2:英文学者であり、受容理論で有名なウォルフガング・イーザーの唱えた“内包された読者”という概念を借用したものである。日本では主に“内包された”と訳されているが、トルコでは一般的に[imalı]=“暗黙の/暗示的な”と訳されており、さらにパムックはこの概念を[ima edilen]=“暗示された”と表現している。

*3:おそらく朗読をされた協会の田村女史本人の手になるものであろう