『わたしの名は紅』より(9)

 『イスタンブール』の既訳(ほんの一部だけだが)を検証した勢いで、『わたしの名は紅』から再び、問題の見つかった箇所を取り上げてみたい。


もし亡きエシニテやスルタンの望まれたようにヨーロッパの名人たちの模倣を始めれば、“優美”さんのような者たちやエルズルム一派のみならず、自分たちの中の当然なる臆病風が俺たちを止めて、最後まで行き着くことはできない。悪魔にだまされてむなしい努力を続け、全ての過去を裏切ってスタイルとヨーロッパの様式の個性を持とうとしても成功できない。ちょうどそれは、俺がこの自分の肖像画を描くのに、技と知識がどんなにあってもどうしても成功できなかったように、まともに自分に似せることもできなかったようにだ。描いた絵の拙さ、ヨーロッパの名人たちの技をものにするには何百年もかかることを―もともと誰しもが知ってはいたが、認めようとしなかったことを―再確認した。

 ―第18章 人殺しと俺は呼ばれるだろう―より(原文455ページ)
 こちらのブログからお借りしました。http://plaza.rakuten.co.jp/since04151974/diary/200612140000/

 既訳は4文、原文は3文から成っている。
 それぞれ文に番号を振って対比させ、順番に検証していこうと思う。


1)もし亡きエシニテやスルタンの望まれたようにヨーロッパの名人たちの模倣を始めれば、“優美”さんのような者たちやエルズルム一派のみならず、自分たちの中の当然なる臆病風が俺たちを止めて、最後まで行き着くことはできない。

1) Eğer rahmetli Enişte’nin ve Padişah’ın istediği gibi, Frenk üstatların taklide kalksak, Zarif Efendi gibiler ve Erzurumiler değilse, içimizdeki haklı korkak tutacak bizi, sonuna kadar gidemeyeceğiz.


 細かい箇所になるが、[…değilse]は、「〜でなければ」「〜でないとすれば」という意味になる。「のみならず」としたのは、翻訳者独自の文脈解釈によるものであろう。



1) もし、死んだエニシテやスルタンが望んだように、俺たちがヨーロッパの名匠たちの模倣に手を染めたところで、優雅どののような者たちかエルズルム派でないとすればだ、俺たちの内部に居座る、当然といった顔をした臆病者に押し留められて、最後までやり遂せなどしないのだ。



 次の2文はどうだろうか。

2-1) 悪魔にだまされてむなしい努力を続け、全ての過去を裏切ってスタイルとヨーロッパの様式の個性を持とうとしても成功できない。
2-2) ちょうどそれは、俺がこの自分の肖像画を描くのに、技と知識がどんなにあってもどうしても成功できなかったように、まともに自分に似せることもできなかったようにだ。


 原文は以下の一文である。

2) Şeytana uyup, sonuna kadar gidip, bütün geçmişe ihanet edip bir üslup ve Frenk tarzıbir kişilik edinmeye kalkışırsak da, benim şu kendi resmimi yapmaya hünerimin ve bilgimin yetmeyişi gibi, bir türlü başalamayacağız bunu.


 まず、「悪魔にだまされてむなしい努力を続け」の「むなしい努力」はどこから出てきたのだろうか?

 [sonuna kadar gidip] とは、直訳すれば「最後まで行って(行き着いて)」という意味になるが、「悪魔にだまされて最後まで行く」では曖昧すぎるために、翻訳者が想像力を頼りに意訳(膨らませ訳)ものだろう。
 ちなみに、[...e uyup]も、直訳すれば「〜に従って」「〜に合わせて」という意味になるので、「だまされて」は多分に意訳(こじつけ訳)である。


 さらに、長い文を文節で区切り、ふたつの文に分けてしまうことは、テクニックとしてまったく構わないと思うのだが、語り口や節の順番を無視し、必要性もないのに、翻訳者が訳しやすくするためだけに勝手に組み直してしまうのは、いかがなものか。


 [...e kalkışırsak da〕「〜に着手したところで」「〜に手を出そうとしても」
ここまでで文を切り、これに続く[benim şu...gibi]の部分は、「ちょうどそれは」で始まる文であらためて説明している。ここまではいい。

 が、「俺がこの自分の肖像画を描くのに、技と知識がどんなにあってもどうしても成功できなかったように」の後ろに、もう一節ある。「まともに自分に似せることもできなかったようにだ
 この文はいったいどこからやってきたのか?


 実はこれは、3番目の文から抜き出したものである。

3) Yaptığım resmin şilkelliğinden, onu doğru dürüst kendime bile benzetemememden, Frenk üstatlarının hünerinin asırlarla öğrenilecek bir şey olduğunu –zaten çoktan hepimizin önemsemeden bildiği bu şey- bir kere daha öğrendim.


 そう、後ろに続く文の中の一節を、おそらくは、自画像についての説明であり、似ているからとまとめてしまったのだろう。
 だが、一節を抜き取られた文はいったいどうなっただろうか?

3) 描いた絵の拙さ、ヨーロッパの名人たちの技をものにするには何百年もかかることを―もともと誰しもが知ってはいたが、認めようとしなかったことを―再確認した。


 前節で残っているのは、「描いた絵の拙さ」だけとなる。
 問題は、「描いた絵の拙さ」が後節にどう係るのかだが、ここで原文をもう一度見てもらいたい。

3) Yaptığım resmin şilkelliğinden, onu doğru dürüst kendime bile benzetemememden, Frenk üstatlarının hünerinin asırlarla öğrenilecek bir şey olduğunu –zaten çoktan hepimizin önemsemeden bildiği bu şey- bir kere daha öğrendim.


 既訳では、「描いた絵の拙さ」と、「ヨーロッパの名人たちの技をものにするには何百年もかかること」を再確認した、と読める。
 が、原文を読めば、これがおかしいのは分かる。


 原文通りに訳せば、「わたしの描いた絵の拙さ」から、「わたしがそれをまともに自分に似せることもできなかった」ことから、わたしは「ヨーロッパの名人たちの技をものにするには何百年もかかること」を再確認した、のである。


 以上を踏まえ、2番目、3番目の文はこのように訳してみた。



2) 俺たちが、悪魔の言いなりになって行き着くところまで行き、過去という過去を裏切ってスタイルやヨーロッパ風の個性を手に入れようとあがいたところで、俺があらん限りの技術と知識を駆使しても自画像を描くには足らぬのと同じように、決して達成できはしないのだ。
3) 俺の描く絵の稚拙さ、絵を自分にさえまともに似せることができないということから、ヨーロッパの名匠たちの技というものは、 何百年もかけてようやく身につくようなものだということを―これは、俺たち誰もがとうの昔から知るところではありながら、無視していたことだが―今いちど思い知ったのだ。