『雪』より(5)

 『雪』の訳文検証は、今回を最終回とする。
 最後に、細かくなるが、訳語レベルの問題があると思われる箇所を取り上げたい。


Kaのように学び、ものを書く人間の一人がカルスの苦悩のためにイスタンブルから来たのを知って喜んでいることを知った。率直な言葉、誇り高い話し振りは、Kaに尊敬の念をひきおこす品のよさがあった。

  Amazonなか見!検索」より引用(原文p.12)

Ka gibi okumuş yazmış birinin Kars’ın dertleri için ta İstanbul’dan gelmesine memnun olduğunu öğrendi. Yalın sözlerinde, konuşurkenki mağrur halinde Ka’da saygı uyandıran soylu bir yan vardı.


 okumuş yazmışはokuma yazma「読み書き」から派生したと思われる慣用表現で、よく勉強した、学問を修めた、学のある、教養のある、というような意味にはなるが、「ものを書く」という限定的な意味はない。

 また、「率直な言葉」「誇り高い話し振り」「尊敬の念をひきおこす品のよさ」という訳には、前後の描写から考えても、日本語としてみても違和感を覚える。


 ということで、以下のように訳してみた。


Kaのように教養のある人物が、カルスの苦悩のために遠いイスタンブールからやってくるということに満足しているのが分かった。飾りけのない言葉遣いや、話すときの堂々とした様子には、Kaのなかに敬意を呼び覚ます高潔な一面があった。


「人間はアラーの傑作である。自殺はである。」

  Amazonなか見!検索」より引用(原文p.13)


「自殺は罪」とはあまりに陳腐すぎるし、「人間はアラーの傑作」との繋がりが見えにくい。
原文を見てみよう。

“İnsan Allah’ın Bir Şaheseridir ve İntihar Bir Küfürdür”


 küfürには悪口、罵倒という意味のほかに、(神への)冒瀆という意味があるが、「罪」とは訳し難い。



「人間はアッラーの傑作のひとつにして、自殺は冒瀆のひとつなり」


神を一人で見つけられるならば、行きなされ。夜の中で、雪にあなたの心を神への愛で満たしてもらいなされ。わしらはあなたの邪魔はしない。しかし、忘れなさるなよ。自惚れた、誇り高い者だけが一人ぼっちになる。神は誇り高い者が嫌いだ。悪魔は誇り高かったから、天国から追い出されたのだ。(p.134-135)
  (原文P.101)
  こちらのブログよりお借りしました。http://d.hatena.ne.jp/shippopo/20060903


 通常、ポジティヴな意味を持つ「誇り高い者」がなぜ嫌われるのか?
 原文を見てみよう。

Allah’ı tek başına bulacaksan git, gecenin içinde kar yüreğini Allah sevgisiyle doldursun. Biz senin yolunu kesmiş olmayalım. Ama unutma ki ancak kendini beğenmiş mağrurlar tek başına kalır. Allah mağrurları hiç sevmez. Şeytan mağrur olduğu için Cennet’ten kovuldu.


 mağrurは通常、鼻にかけた、自慢した、自惚れた、思い上がりの強い、高慢な、横柄な(者)というネガティヴな意味を持つ。



アッラーを自分ひとりで見つけようというなら行くがよい。夜のただなかで、雪に、あなたの心をアッラーの愛で満たしてもらうがよい。あなたの行く手を阻むようなことはするまい。だが、忘れるではないぞ。自惚れの強い高慢な人間は、最後には独りぼっちになるものだ。アッラー高慢な人間を嫌う。悪魔は高慢だったがゆえに天国から追放されたのだ。