『雪』より(2)
今回は、細かい構文の読解ミスをふたつみっつ。
―抜粋はAmazon「なか見!検索」より―
雪は夢の中で降るように長々と静かに降りつづき、窓側に座っていた乗客は、長年、熱心に求めていたものが、無垢と純粋さによって清められたと、そして自分がこの世で、我が家にいるようにくつろぐことのできると楽観的に信じた。
Kar rüyalarda yağdığı gibi uzun uzun, sessizce yağarken cam kenarında oruran yolcu yıllardır tutkuyla aradığı masumiyet ve saflık duygularıyla arındı ve kendini bu dünyada evinde hissedebileceğine iyimserlikle inandı.
「熱心に求めていたもの」が「無垢と純粋さによって清められた」のではなく、彼自身が「熱心に求めていた無垢と純粋さ(の感覚)によって清められた」のである。
このように訳した。
雪が、夢のなかで降るように、いつまでも音もなく降り続けるあいだ、男は、何年も取りつかれたように探し求めた純真で純粋な感覚に心を洗われ、そして自分はこの世界で我が家にいるように感じることができるだろうと、楽天的に信じたのだった。
彼の体がその上に倒れかかった隣の乗客は親切で正直な男だった。まじめだが、そのせいで・・・
Gövdesi komşusunun üzerine düşen yolcu iyi niyetli, doğru düzgün bir insandı ve bu özellikleri yüzunden...
「隣の乗客」ではなく、「彼」の性格について説明している箇所である。うっかり取り違えてしまったようだ。
身体が隣の人のうえに凭れかかったこの乗客は、善意あふれる、正直で真面目な人間で、こうした性格のせいで・・・
ドイツにいた十二年間に感じたことのないこの心の安らぎは、自分より弱い者を理解してその者に対して愛しさを感じた時を思い出させた。
Almanya’da on iki yıl boyunca hissetmediği türden bu huzuru Ka kendinden güçsüz birisini anlayıp ona şefkat duymaktan hoşlandığı zamanlardan hatırlıyordu.
bu huzur-u この心の安らぎ-を
...zamanlardan ・・・な時代から、時期から、頃から
hatırlıyordu 覚えていた
と、きわめて簡単な構文なので、間違えるわけがないのだが。誤訳というより意図的な読み変えなのかもしれない。
それは、この後に続く文のせいだろう。
そういう時には、彼が憐憫や愛を感じたその相手の目で世界を見ようとした。
Böyle zamanlarda, dünyaya acıma ve sevgi duyduğu adamın gözüyle bakmaya çalışırdı.
böyle zamanlarda(このような時)に惑わされてしまったのだろうか?「このような時」とはすなわち、前の文にあるzamanladanのzamanlarだと?
が、果たしてこのzamanlarと前の文のzamanlarは、同じ「時」を指しているのだろうか?
翻訳者はこのふたつのzamanを同じ「時」と解釈し、辻褄を合わせるために前の文の構文を無視して意訳してしまったようだが、これは別ものであろう。
「このような時」とは、「自分より弱い者に理解を示し、その者に憐れみの念を抱く」ことによって、「心の安らぎ」を手に入れた時、のことであろう。ドイツに政治亡命する前、つまり、いまだ貧困から抜け出せないでいるトルコにいた「頃」には頻繁に味わうことのできた感覚で、当時の彼はそんなブルジョワ的感覚を、そんな感覚を持てる自分を気に入っていたのである。
今、隣の席の男のおかげで、12年ぶりにこの種の「心の安らぎ」を味わっている、「このような時」なのである。
ここはこのように訳してみた。
ドイツにいた12年間を通して感じることのなかった種類のこの心の安らぎを、Kaは、自分より弱い者に理解を示し、その者に憐れみの念を抱くのが気に入っていた頃から覚えていた。こういう時Kaは、同情と愛情を抱いた男の眼差しを借りて世界を見るよう努めたものだった。