『わたしの名は紅』より(5)

黙って、恭しく、身動きもせずに、わたしたちは長い間絵を眺めていた。少しでも動けば、向かいの部屋から来る空気が蝋燭の炎を波打たせて、父の神秘的な絵が動き出すように見えた。父の死の原因となったこれらの絵に魅せられていたその馬の妙なこと、紅の比類ないこと、木の憂い、二人の修行僧の悲しみなどに魅入られてしまったのだろうか、あるいは、父をさらには他の者をも殺した殺人犯への恐怖のためだったのか。

―第34章 わたしはシェキュレ―(原文p.242)より
再び、こちらのブログからお借りしました。http://elder.tea-nifty.com/blog/cat6620458/index.html


 ここで問題となるのは、「父の死」以下の部分。
 「魅せられていた」のすぐ後に「魅入られてしまった」とくるのは、そもそもどこかがおかしい。

父の死の原因となったこれらの絵に魅せられていた


 原文を見てみると、

Babamın ölümüne sebep olduğu için mi resimler gözümde büyümüştü?


 「魅せられていた」は完全に勘違い訳である。büyümek 大きくなる、をbüyülemek惑わす、心を惹きつける、と見間違えたのであろう。



 それに続く文でも、混乱がある。

その馬の妙なこと、紅の比類ないこと、木の憂い、二人の修行僧の悲しみなどに魅入られてしまったのだろうか、あるいは・・・


 原文を見てみよう。

O atın tuhaflığından, kırmızının benzersizliğinden, ağacın kederinden, iki abdalın hüznünden miydi büyülenmem, yoksa...


 büyülenmem は、「私が心を惑わされること」「私が惹きつけられること」「私が魅せられること」という意味になる動名詞で、これが主語になる。これを見落としたか、あるいは無視して端折った訳をしてしまったがために、

あるいは、父をさらには他の者をも殺した殺人犯への恐怖のためだったのか。


 この文が主語節を失ったまま宙ぶらりんになってしまっているのだ。




 以上を踏まえ、「父の死」以下はこのように訳してみた。



  父の死の原因となったためでしょうか、絵がわたしの目には大きくなったように映りました。あの馬のどこかおかしなところや紅色の類のなさ、木の嘆きやふたりの修道僧の哀しみなどのせいでしょうか、私が心を惑わされるのは。それとも、これらのために父を殺し、そのうえ他の人たちまで殺してしまった殺人鬼を恐れているからでしょうか。