『わたしの名は紅』より(4)

「・・・予言者様の聖遷からちょうど一千年経った時、イスラム暦の一千年目に、ヴェネチア総督の目に、イスタンブルの強力な軍とイスラムの誇りとともに崇高なるオスマン家の力と富を見せて、畏れを抱かせるような本でした。
この世で最も価値のある、一番大事なものを語り描くはずだったのです、この本は。さらにまさに武勇伝に於けるようにスルタン様の肖像画を本の心臓部に置く予定でした。
さらに挿絵はヨーロッパの様式や手法を用いたもので、ヴェネチア総督に畏怖と親交の念を引き起こすはずでした。」
「それらは知っておる。崇高なるオスマン家の最も大事なものが犬や木なのか。」と絵を指し示しながら言った。
「亡くなったエニシテは、スルタン様の豊かさは富によってのみ表されるのではなくて、精神的な力、隠れた憂いによって表されると言っていました。」

―第36章 わたしの名は黒(カラ)―(原文p.262)より
再び、こちらのブログよりお借りしました。http://elder.tea-nifty.com/blog/cat6620458/index.html


  上記の対話の中から、まずはこちらの一文。

・・・予言者様の聖遷からちょうど一千年経った時、イスラム暦の一千年目に、ヴェネチア総督の目に、イスタンブルの強力な軍とイスラムの誇りとともに崇高なるオスマン家の力と富を見せて、畏れを抱かせるような本でした。

...Peygamberimizin hicretleri üzerinden tam bin yıl geçmişken, İslam’ın takvimi bininci yılı gösterirken, Venedik Doçu’nun gözüne İslam’ın kılıcı ve gururu Ali Osman’ın gücünü ve zenginliğini, gönüllerine de korkusunu yerlıştirecek bir kitap.


 勘違い訳、とでもいうのだろうか。「イスタンブルの強力な軍」がどこから出てきたのか分からない(よもや、İslamとİstanbulを見間違えたのではあるまい)。kılıçは「剣」なので、素直に「イスラムの剣」(イスラムの戦士、守護者というような象徴的な意味合いだろう)と訳してよいのではないだろうか。
 「軍」という具体的なものを出してしまったので、「とともに」などとこじつけざるをえなくなったようだ。



 このように訳してみた。



   ・・・われらが預言者のご聖遷(ルビ:ヒジュラ*1より、きっかり一千年が経とうというとき、すなわちイスラム暦が一千年目を迎えようというとき、ヴェネチア総督(ルビ:ドージェ)イスラムの剣であり誇りである、崇高なるオスマン家の力と富を見せつけ、畏怖の念を植えつけるような本をと。




 次にこちら。

亡くなったエニシテは、スルタン様の豊かさは富によってのみ表されるのではなくて、精神的な力、隠れた憂いによって表されると言っていました。

Eniştem rahmetli, kitabın, Pahdişahmızın zenginliğinin kendisini değil, manevi gücünü ve gizli kederini göstereceğini söylerdi.


 今度は、慌て訳、とでもいえばいいだろうか。焦って「本」の存在を見落としてしまったようだ。そのために「富によって」とこじつけざるをえなくなり、ふたつめの「によって」を引き寄せてしまった。
 係り受けの複雑なのがパムックの文章の特徴だが、これは短い文なので、落ち着いて読めばこの程度は簡単なはずだ。



 ここは、このように訳してみた。



  今は亡きわたくしめの叔父、エニシテは、その本はスルタン陛下の豊かさそのものをではなく、豊かさのもたらす精神的な力とその内に秘められた憂慮をあらわすものになるだろうと申しておりました。

*1:AD622年,預言者ムハンマドのメッカからメディナへの移住をいい、この年がイスラム暦ヒジュラ暦)元年とされた。