『わたしの名は紅』より(3)

人殺しにふさわしい二つ目の声をもちました。普段の生活では使わない、この人を馬鹿にしたような悪辣な第二の声で話してみましょう。人殺しにならなかったなら、今も話しているであろう、聞き覚えのある昔の声もときどきは聞くだろうが、その時は「俺は人殺しだ」ではなくて、ニックネームのほうでだ。この二人を一つにむすびつけようとしないでもらいたい、誰も。

  ―第18章 人殺しと俺は呼ばれるだろう―(原文p.115)より
  こちらのブログからお借りしました。http://homepage3.nifty.com/syosei/books/modern/pamuk.html

...katilliğe uygun bir ikinci ses edindim. Eski hayatıma hiç karıştırmadığım bu alaycı ve hain ikinci sesle konuşuyorum şimdi. Katil olmasaydım konuşacağım o bildik tanıdık eski sesimi de zaman zaman dinleyeceksiniz tabii, ama “ben katil”diye değil de lakabımla.Bu ikisini birleştirmeye kalkmasın kimse,...

 この部分には、ほんの小さな解釈の違いなのに、章全体に影響を及ぼしている問題が横たわっているようだ。

 前段にあたる部分の既訳はいったいどうなっているのだろうか。「・・・第二の声で話してみましょう」までは、語尾に「〜です/ます」「〜しました/しましょう」という丁寧表現が使われているように見えるが、そうなのだろうか。

 ...ikinci sesle konuşuyorum simdi. これは単に「今は、二つ目の声で話している」と読者に解説しているのであって、「今から二つ目の声で話しましょう」ikinci sesle konuşayım/konuşacağım simdi/simdiden. と告知しているわけではないと思うのだが。
 初めて既訳を読んだとき、この箇所で突然に口調が変わったことに違和感を覚えたのだが、そもそも口調を変える理由も見当たらない。なぜなら、人殺しと感づかれないためにふたつの声を使い分け、いまだ慣れないにしても、この章では人殺しとして語っているのだから。



 ここは、こんな風に訳してみた。



  ・・・人殺しにふさわしい第二の声を身につけたのさ。以前の生活じゃあ決して聞かせたこともない、この人を食ったような憎たらしい第二の声で、今は話しているというわけだ。もし人殺しになってなかったらこれからも話してるだろう、あの慣れ親しんだ以前の声も、むろん時々は聞けるだろう。だが、「俺は人殺しだ」っていうんじゃない。俺の呼び名にあわせてだ。誰もこのふたつを結び付けようとはしてくれるな。・・・



色であるのはどんなことか、とあなたが訊くのが聞こえます。
色は目が触れること、つんぼにとっては音楽、闇から出てくる言葉です。

  ―第31章 わたしの名は紅―(原文p.215)より
  こちらのブログからお借りしました。http://ogawama.jp/blog/bookcase/2007/09/post_117.html

Duyuyorum sorduğunuzu: Nedir bir renk olmak?
Renk gözün dokunuşu, sağırların müziği, karanlıkta bir kelimedir.

 「闇から出てくる言葉」はこじつけ訳だろうと思われる。色は光の下ではじめて色として目に映る(認識される)ものなのだから。
 birには単に、ただ、というニュアンスも含まれる。この部分を英語に直訳するとしたら、a word in the dark/darknessであろうか。もし「出てくる」としてしまうと、まったく別の意味が生まれてくる。



 したがって、このように訳してみた。



  あなたがたの問いかけが聞こえます。色であるとはなんぞや、と。
  色とは目の感触であり、聾者の音楽であり、闇の中ではたんなる言葉なのです。