『わたしの名は紅』より(1)

 『アーンティ・ネリー』が思いのほか長引いてしまっている。梗概をまとめきれない私の力量不足(要領の悪さ)以外の何ものでもないのだが、あと残すところ3〜4回で完結する予定である。もし、継続的にご覧くださっている奇特な方がおられるのなら、もう暫く我慢してお付き合いいただければ嬉しく思う。


 ところで、一般に流通しているトルコ語文芸作品の邦訳本の数、種類はきわめて限られている。どなたか、探してみたことはおありだろうか?単刀直入にいうと、現在手に入れることのできるトルコ語作品の邦訳本(小説等、文学作品に限る)は、実に片手におさまる程度なのである。したがって、「トルコ語文芸翻訳家を目指して独学」しているというのに、良訳といわれる邦訳作品を選んで独学用の参考書にしたくとも、思うようにならないのが現状である。


 数限られた邦訳本のほとんどは、いうまでもなくオルハン・パムック*1作品である。私も『Beyaz Kale(白い城)』『Benim Adım Kırmızı(わたしの名は紅)*2』『Kar(雪)』の三作品を手元に持っているため、邦訳本さえ手に入れば対訳は簡単・・・のはずなのだが、いまだに邦訳本を手に入れられないでいる。正直なところ、二の足を踏んでいるのだ。


 オルハン・パムック作品の読者の何人もが、読書、書評紹介ブログで翻訳の質について評価したり、また訳文の一部を抜粋して紹介してらしたりするのを目にした。いや読んだ。もとい熟読した。ブログで紹介された訳文の対応箇所が分かるものについては、当然のごとく原文と比較してみた。そして、原文で読めるのだから、邦訳本をわざわざ購入する価値はないと判断したのだった。
 自分自身、いまだ修行中の身であり、他人の訳をとやかく言う資格はない。しかし、至るところで、日本語として不自然な表現や、不適切な訳語が目に付く。それが、注意不足や勘違いに由来するあきらかな誤訳、また一見、意訳と思える文章が、実は理解力不足・表現力不足に由来する「ごまかし訳」なのだとしたら、それこそ他山の石として私自身肝に銘じねばならないものになる。


 この拙ブログを偶然であれ訪問してくださる方の中には、トルコ語に携わってらっしゃる方もきっといらっしゃるだろう。あるいは、数少ないトルコ語翻訳者の方ももしかしたらいらっしゃるかもしれない。どこまでが意訳で、どこからが誤訳か。狙い定めた言い換えなのか、勘違い訳なのか、端折り訳なのか、ごまかし訳なのか。どのような表現が適当なのか。一緒に検証していただければ幸いである。
 既訳については、オルハン・パムックの二作品(『わたしの名は紅』と『雪』)を取り上げた読者の方々のブログ記事からお借りしたものである。場合によっては、ブログ執筆者の方の転記ミスもありえるだろう。気付かれた方はどうかお知らせください。


 これで四日になる、家に戻らなくなってから。妻や子供たちはわたしのことを探していることだろう。娘は涙もかれはてて、ぼんやり庭の木戸を眺めていることだろう。皆がわたしの帰りを、わたしが入り口から入ってくるのを待っているに違いない。
 だが本当に待っているだろうか。それも確かではない。
もしかしたら、もういないのに慣れてしまったかもしれない。なんたること! こんな所にいると、以前の生活が元のように続いているかのような気がする。わたしが生まれる前にも、それまで無限の時間があったのだ。わたしが死んだ後も、尽きることの無い時間があるのだ。生きている間はこんなことは少しも考えなかった。明るい光の中で生きていた訳だ、二つの闇の狭間で。
 幸せだった。幸せだったのが今わかる。スルタンの細密画の工房で一番いい仕事はわたしが手がけていた。芸の上でわたしに近い者すらいなかった。工房の外でした仕事は金貨九百枚にもなった。こんなことを考えると死んだことがさらに耐えがたくなる。
  ―『わたしの名は紅』第1章、冒頭部より (原文p.9)―
  こちらのブログからお借りしました。 http://elder.tea-nifty.com/blog/cat6620458/index.html

 まずは、この箇所。

皆がわたしの帰りを、わたしが入り口から入ってくるのを待っているに違いない。
だが本当に待っているだろうか。それも確かではない。

 原文はこちら。

... hepsinin gözü yolda, kapıdadır.
Gerçekten kapıda mıdır, onu da bilmiyorum.

 大きく言い換えてあるものの、これは意訳が比較的うまくいった例ではないだろうか。
 Gözには、眼、目、眼差し、視線・・・のほかに、期待という意味合いもある。

 しかし、原文が最小限の単語で簡潔に表現されているので、できるだけ原文に近いかたちで訳すなら、こんな感じだろうか。



   誰の視線も通りに、戸口に注がれていることだろう。
   実際に戸口を向いているのか、それも私には分からない。




もうひとつはこちら。

スルタンの細密画の工房で一番いい仕事はわたしが手がけていた。芸の上でわたしに近いすらいなかった。工房の外でした仕事は金貨九百枚にもなった。

 原文はこちら。

Padişahımızın nakkaşhanesinde en iyi tezhipleri ben yapardım ve ustalığı bana yaklaşabilecek başka bir müzehhip de yoktu. Dışarıda yaptığım işlerle elime ayda dokuz yüz akçe geçerdi.


 ここでは、オスマン帝国時代の彩飾写本に関係する用語がいくつも出てくる。


 nakkaşhaneは、 nakkaş(装飾画家、彩飾写本家)たちの集められた宮廷工房で、なかではカリグラファーや細密画家、金箔・金泥装飾職人、エブル(マーブリング)職人、製本職人など、さまざまな専門の職人が働いていたという。これらをひっくるめて「細密画家工房」ということは可能だろう。


 tezhipは、写本の縁や頁、トゥーラ(花押)、カリグラフィーなどの上に、金泥・金箔を用いて行う装飾のこと。


 müzehhiptezhipを行う職人(男性)のことで、女性の場合はmüzehhibeという。金泥装飾(彩飾)家、装飾(彩飾)職人。


 これらをひとつひとつ忠実に訳出していくと、漢字ばかりで文が硬くなり、また訳注のようなかたちで解説が必要になってくる。それを避け、分かりやすくすることを心掛けられたのだろう。
 しかし、第1章の最初の頁で主人公(ここでは死人)のプロフィールをずばり説明するという、いわばパムックお決まりの語り口に対し、「仕事」「者」といった端折った表現を当てはめるだけでは、読者に情報が十分に伝わらない可能性が高い。
 やはりここは、忠実に訳出すべきところだろう。


 また、akçeオスマン帝国時代に流通していた銀貨のことで、金貨ではない。ブログ執筆者の転記ミスか、でなければ翻訳者の単純な勘違いかと思われる。「アクチェ」はオスマン帝国の基本通貨単位であり、給与等の支払いはすべてアクチェで行われていた。一般に「○○アクチェ」と表現される。


 ustalıkは、日常一般的な単語であり、ここは芸術家、職人に関する言葉なので、技、技術、技量、腕、腕前などと訳したほうが相応しかろう。だいいち「芸の上でわたしに近い」となると、似通った芸を見せる、芸風が似通った(芸人)・・・のような意味にずれていかないだろうか。
 yaklaşmakは、ここでは「近づく」ではなく、敵う、匹敵する、比肩する、並ぶ、肩を並べる、などと訳したほうがいいだろう。



 というわけで、このように訳してみた。


    スルタンの装飾画家工房で最高の金泥装飾はわたしが手がけていたし、腕前でわたしに匹敵する装飾家も他にはいなかった。宮廷の外でする仕事のおかげで、月に900アクチェも手に入ったものだ。

*1:日本では、和久井路子さんの紹介によって、すでに「パムク」に定着してしまったが、原音に近いのはやはり「パムック」だと思っている。「オルハン」「パムック」と4文字が続くのを避けるという理由もあったのかもしれないが。視覚的な収まりは確かに「パムク」の方がいいが、音韻的にどうも収まってくれない。これは私的には「誤訳」に近いものがあるのだが・・・。

*2:一方、この邦題は素晴らしい。漢字にするとバランスが悪くなる「私の」を平仮名にし、また「赤」ではなく「紅」としたところが秀逸である。