『眠りの東』を読む

Hasan Ali Toptaş




■ハサン・アリ・トプタシュ(Hasan Ali Toptaş) バイオグラフィ 



 1958年、デニズリ県チャル郡に生まれる。最初の短編小説『笑いの正体(Bir Gülüşün Kimliği)』が1987年に、2冊目の短編小説『無の囁き声(Yoklar Fısıltısı)』が1990年に出版される。

 『死んだ時間放浪者(Ölü Zaman Gezginleri)』という名の短編小説集によって、1992年にチャンカヤ市および文芸誌ダマル(Damar)主催によるコンテストで1位を獲得。同年、『無限への終止符(Sonsuzluğa Nokta)』という名の未発表の小説により文化省の主催するコンテストで佳作となり、この作品は文化省によって出版される。

 1994年に『影のないものたち(Gölgesizler)』という名の未発表の小説によりユヌス・ナディ小説賞を受賞。『千の憂鬱なる愉悦(Bin Hüzünlü Haz)』という名の小説は1999年にジェヴデット・クドゥレット文学賞を受賞する。

 『数多の孤独(Yalnızlıklar)』という名の詩的文章からなる作品と、『消えた空想の書(Kayıp Hayaller Kitabı))』という名の小説、『僕は一本のシデの枝(Ben Bir Gülgen Dalıyım)』という名の児童小説がある。

 最新作『眠りの東(Uykuların Doğusu)』は2005年に出版された。*1

 ( ハサン・アリ・トプタシュ公式HPより)


■ハサン・アリ・トプタシュ『眠りの東』 冒頭部より


影のように、俺は机にもう一度歩み寄った。 本当のところはどうなんだと訊きたいなら、その時点では俺の記憶にある物語がどの文章から始まるのかが分からなかったのさ。 よろよろとふらつきながら、じめじめとした臭いの充満する中をくぐり抜け机の端に腰を下ろしてからも、なにしろまだ見当はつかなかった。 指先に集まってくるその恐怖を掻き立てる唸り声に合わせ、そうして俺はかすかに蠢いて動かなくなった。 それから、そう、俺がそんな風に蠢いているとき、何がどうなったか分からないんだが、まるで一瞬にして時間までが机の上にある紙に姿を変えて蠢いたみたいだった。 おまけに、俺の周囲を取り巻く壁の色がこの時間のなかに一斉に流れ込み、流れ込めばかすかに震え、震えれば俺の向かい側の窓がやってきてこの振動の真ん中に居座ろうとするみたいだった。 だから俺もそこで、あそこの鉄格子の隙間から見える町の方に目を向け、これっぽっちもその気はないのに、長いこと眺めたのさ。
 たとえば、いつだったか、駅舎の前を通って魚市場へとまっすぐに延びる大通りと、この通り沿いに建つアパートの中に詰まった辛い貧しさを目にした。 いつぞやはモスクの丸屋根やクレーンや高層建築の見事さを、またいつぞやは町のてっぺんに釘付けになったままの煤煙の重苦しさを、いつぞやは地平線に埋もれてしまったかに見える色褪せた城壁の人けのなさを眺めた。 そのときはまだ、話して聞かせようとしてる物語がどこから始まるのか見当もつかなかったから、我慢して、うんざりした表情で大通りの小路への曲がり角にもついでに目をやったのさ。 曲がり角から勢いよく溢れ出てくる濁った騒音を、騒音のなかから現れては通り過ぎていく腰の曲がった小型トラックを、小型トラックが積んでいる荷を、そしてこの荷からもぎれ隙間で小刻みに震えながら飛び交う何色もの色彩を眺めた。 それから、たぶん大通りを埋め尽くしてるだろうあのアタマもケツも見分けのつかぬ群集が、濃厚な汗の臭いを引き連れて右往左往するところも眺めるはずだったんだが、機会を逃してしまった。 ハイダルが都市に挑みかかる背の高い亡霊のようにやってきて俺の目の前に立ちはだかってしまったからだ。 立ちはだかるやいなや、わずかに屈み、ギラギラと光る瞳で俺をまっすぐに見据えた。その頃、俺は相当に疲れ、悲嘆にくれていたが、否応なしに負けじと奴を見返したさ、無論。 おまけに、奴が両耳につけてる花も、髪の毛と毛のあいだで散らかり放題の大小さまざまのゴミ屑も、口元からこぼれるあのヤニのように真っ黒いゼロゼロ声も、まったく初めて見るものであるかのように、とにかく子供っぽく驚き、ぞっとしながら見つめたのさ。
(p7-8)

*1:2006年度オルハン・ケマル小説賞を受賞