『奴隷商人―チューリップ時代に咲いたひとつの愛の物語』を読む(3)

              奴隷商人ムフスィン・チェレビの物語



 ムフスィン・チェレビは、枕元から取り出した貴石細工の手鏡に映る、インドの細密画に描かれている王子にも似た自分の顔に見入っていた。
 一七三〇年七月の、とある夜半のことであった。銀の燭台の上では、三本の蜜蝋が燃え尽きようとしていた。とはいえ、カンルジャ湾の入り口に面し、ピスタチオの木々が繁茂する低い丘に背中を凭れかけさせるようにして建つ奴隷商人の邸宅は、降り注ぐ月光によって中まで煌々と照らされていた。その夜は十四夜。針で髪の毛の刺繍ができるほどであった。上物の縮緬でつくられた蚊帳が、窓から海の見える部屋の四隅から細い金鎖で吊り下げられていた。月光の下で、絹は銀の粉を刷いたように輝いていた。蚊帳の内側には羽毛ぶとんが敷いてあった。繻子でくるまれた三枚のマットレスの上には、朱色の太い縞模様の縮緬のシーツが広げられ、掛けぶとんの代わりに縮緬に覆われたショールがかけられていた。
 年の頃はいまだ三十にも満たない、浅黒い肌の逞しい美丈夫であるムフスィン・チェレビの懐でひとりの女奴隷が眠っていた。いや、眠ってはいなかった。目をしっかりと閉じ、目覚めていることを悟られないようにしていた。時々、くるんとした睫毛の間から目をうっすらと開けては、貴石細工の手鏡に映る美しい顔に見入る若き主人に視線を走らせ、ご主人様が自分を起こしてくれるのを待った。
 
 ムフスィン・チェレビは、その化粧や身に着けるものがイスタンブールの流行となる若者の一人だった。実際にはウルギュップ出身の大宰相、“ネヴシェヒル出身”ダーマット・イブラヒム・パシャとは同郷人である彼は、イスタンブールでも最も裕福な奴隷商人だったのである。
 一世紀半このかた、美男美女の売買で財を築いてきた一家の資産と経験を相続したムフスィン・チェレビは、人間というもののどんな秘密をも解き明かし、人体を蜜蝋のように操ることができた。磨けば光る原石として買い上げた奴隷たちを、人種も生まれ育ちも様々な若者たちを、注意に注意を重ねてようやく手中にできる魅惑的な肌の色を、布と宝石とによって、あたかも貴金属商のように輝かせることができた。自分自身にも、奴隷市場に売りに出す浅黒い肌の奴隷であるかのように気を配った。額に下ろしたひとふさの「ムフスィン・チェレビ風前髪」、袖口をカーネーションのレースで縁取りした「ムフスィン・チェレビ風シャツ」、回りをぐるりと輪が取り巻いた朱色のアルジェリア風とんがり帽子の先端から、金糸入りの紐で下げられた一粒の真珠「ムフスィン・チェレビ風タッセル」―これらは、じゅうぶん真似るに値した。
 白地に黄色い縞の入ったダマスク織りの絹のナイトガウンの上に、臍あたりから胸の下まで覆う幅広の帯をきつく締めていた。そうすると、羽毛ぶとんの上に横たえた体躯を、実際より長く見せることができた。薄い唇が幅の広い口を縁取り、黒々として縮れた細い髭が、その顔に威厳を与えていた。
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