重訳はどこまで原文を伝えうるか?(2)

 早速、本題に入ろう。
 いずれも、上段がフランス語→トルコ語→日本語の重訳、下段がフランス語から日本語へ直に翻訳したものである。
 トルコ語から和訳するにあたっては、トルコ語の原文を逸脱しない訳語、表現を心がけ、最低限の補足を行う以外には、無用な補足・追加、表現の脚色はしないことを前提とした。


 なお、青字で表した箇所は、それぞれもう一方の訳書では意味的に登場してこない訳語、訳文である。察するに、翻訳者が端折ったか、反対に、それぞれ日本とトルコの読者に分かりやすいよう補ったか、のいずれかだと思われる。
 緑色の箇所は解釈が大きく異なる部分であり、また赤字の箇所は、邦訳かトルコ語訳のいずれかの誤訳と思われる箇所である。



§第1章の冒頭より

 ダニオの馬は偉大なるファラオー、セティが南シリアに築いた「獅子穴」という名の町に向かう道を、全速力で駆けていた。エジプト人の父とシリア人の母の血を引くダニオは、名誉な職業とみなされている郵便夫を職として選び、緊急の文書を送り届ける任務を与えられた。エジプトの郵便管理局は彼に馬と食事、衣服を支給していた。ダニオはその任務の必要性から、北東の国境沿いに位置するシレの町にあてがわれた家で住み、宿場では無料で宿泊していた。要するに、なかなかに恵まれた生活を送っていたのである。途切れることのない旅の途中では、数多くのシリア女と付き合った。ただし、こうした女たちの幾人かは時々、公務員である彼と結婚する意図があることを隠さなかった。ダニオは女との関係が深刻化しそうだとみるやいなや、決まって女から逃げだすのだった。
  ―[RAMSES Kadeş Savaşı]p.7―

郵便吏のダニオは灼熱の大地を馬に乗り駆け抜けていった。彼は南シリアの地にセティ王が築いた町“獅子の住みか”と呼ばれる町に向かっていた。エジプト人の父とシリア人の母を持つダニオは成人すると郵便吏としての職を選び、とくに緊急の配達を任されるようになっていた。エジプトの役所から馬と食料と衣服を支給され、さらに北東の国境に面した町シレに家を建ててもらい、宿駅では無償で宿泊することもできた。ようするに申し分のない生活を送ることができるのである。次から次へと旅を重ね、愛想のいいシリアの娘たちと知り合いになる。なかには本気でダニオの妻になろうとする者まで現れた。もっとも女との関係が育ちすぎると、彼は大あわてで逃げ出していった。
  ―『太陽の王ラムセス3 カデシュの戦い』p.12―


 「灼熱の大地」など、いかにもイメージを喚起しやすい表現である。この一言が冒頭にあれば魅力的だが、トルコ語訳にはそれにあたる表現が一切ないので残念である。だが、大袈裟な形容の好きなトルコ人が割愛したとも考えにくいので、日本語翻訳者が脚色したという可能性も否定できない。
 「名誉な職業とみなされている」「その任務への必要性から」「公務員である」は、いずれもトルコ語翻訳者が読者の理解の助けとなるよう補足したものであろう。
 一方、家を「あてがわれる」のか「建ててもらう」のかといえば、いくら王国が豊かであったとしても、一介の郵便夫のためにわざわざ家を建てるようなことがあったのか、と疑問に思わないではない。



§第1章の章末より

 ダニオはひどい恐怖に襲われた。もしヒッタイト精鋭部隊が付近を歩き回っていたとした・・・?
 ダニオは恐ろしい光景から目を逸らすこともできないまま、後ずさりした。大勢の人を刀でめった切りにし、墓もなく置き去りにしていくほど残酷になりうるものであろうか?
 頭に血が上って焼けつくほどの熱を感じながら、ダニオはスフィンクスのある門まで足を進めた。
 馬は消えてしまっていた。
 恐怖におののくダニオは、ヒッタイトの兵士が今にも現れるかもしれないと心配しながら、地平線のほうを注意深く見つめた。はるか遠い山の麓で、砂煙が舞い上がっていた。
 戦車だ・・・・。戦車が、自分のほうに向かってくる!
 恐怖にとりつかれ、ダニオは息ができなくなるまで駆けつづけた。
  ―[RAMSES Kadeş Savaşı]p.10―

 ダニオは底知れぬ恐怖に取りつかれた。ヒッタイト獰猛な兵士に見つかりでもしたら・・・。
 ダニオは思わず後ずさりした。だが彼は悲惨な光景から目をそらすことはできなかった。どうしてこれほど残忍な殺し方ができるというのだ?埋葬もせずに遺棄していくなんて・・・。
 ダニオは怒りを覚え、そしてスフィンクスの門から町の外に出ようとした。
 彼の馬が消えていた。
 ひきつったようにダニオは地平線に目をこらした。ヒッタイトの兵士たちがいまにも現れるのではないか。そのとき、向こうの丘の麓に土煙が上がるのが見えた。
 戦車だ・・・・。戦車がこっちへ向かってくる!
 ダニオは恐怖に駆られ、一目散に逃げ出した。
  ―『太陽の王ラムセス3 カデシュの戦い』p.15―


 「精鋭部隊」と「獰猛な兵士」では、当然ながら印象はかなり異なる。トルコ語ではkomando(特殊部隊、精鋭部隊)と訳されているからだが、この文脈に対しては意味を限定しすぎるきらいがある。この場合、トルコ語翻訳者の訳語選択が不適切だといえなくもない。



§ラムセスの風貌

 セティに代わって玉座についた26歳になるファラオは、4年来この国を統治し、時とともに国民の愛情と敬服を一身に集めるようになっていた。身長は180センチを越え、鍛えた肉体を持つこの若者の顔は面長で、髪の毛は金髪だった。額は広く、弓なりに反った眉毛はふさふさとしていた。鼻は細長い鉤鼻で、眼差しには輝きと深みがあった。耳は丸みを帯び、唇は厚ぼったく、顎はくっきりとしていた。ラムセスは、周りの者だれもが躊躇うことなく認める超自然の力を備えていた。
  ―[RAMSES Kadeş Savaşı]p.12―

 セティ王のあとを継ぐラムセスは26歳、ファラオとなってからすでに4年の歳月が流れ、エジプトの民からも敬愛を受ける身であった。たくましい身体に一メートル八十センチの長身を誇り、面長の顔に赤みがかった豊かな褐色の髪を戴く(いただ)く。広くひいでた額には弓なりの眉がせり出し高くほっそりとした鼻はわずかに曲がっている。目には光と深みをたたえ、丸く美しい輪郭を持った耳をし、唇は厚く、顎の線がはっきりとしている。エジプトを統べる王(ファラオ)ラムセスはたぐい稀な力を持ち、人々はその力を自然を越えたものと言って憚らなかった。
  ―『太陽の王ラムセス3 カデシュの戦い』p.16―


 「金髪」か、「赤みがかった褐色」か。読者が想像のうちに創り上げるラムセス像に大きく影響を与えるだけに、誤訳は避けたい箇所であるが、トルコ語ではsapsarı(真っ黄色)と訳されているため、「金髪」以外に訳しようがない。
 ミイラに残っている頭髪から判断すると、ラムセス2世の髪の色は赤茶色だったと考えられるという記述(ウィキペディア)があるが、一方で金髪だという記述もあり、保存過程で薬品の影響により変色している可能性が高いので、現実的にはいずれの表現でも決して間違っているとはいえないようだ。問題は、フランス語の原文がどうなっているか、だけである。



§風景描写

 王は、花々に飾られた小道と泳ぐにはうってつけの水路がある、緑豊かな草原を散策することを好んだ。香り高い林檎を噛みしめるように味わい、甘みの強い玉葱を楽しみ、河畔の砂よりも豊富なオリーブ油を産出する広大なオリーブ畑を歩き回り、農園から漂ってくる心地よい香りを胸いっぱいに吸い込むのである。
  ―[RAMSES Kadeş Savaşı]p.14―

 ラムセスは青々とした緑をたたえる田園地帯へ足を延ばすのが好きだった。花々の咲きみだれる小道を行き、水浴びに適した運河をめぐる。蜜のように甘い林檎を頬ばり、甘い玉葱を味わうのを楽しみにしていた。砂漠の砂ほどに膨大な油を生みだすオリーブの畑を抜け、果樹園の豊かな香りを胸の奥まで吸い込む。
  ―『太陽の王ラムセス3 カデシュの戦い』p.18―


 「河畔の砂」と「砂漠の砂」とでは段違いである。どちらの誤訳か、想像にまかせるしかないが、河畔の砂では限界がありすぎ、ではなかろうか?


§ネフェルタリの人格

 輝く黒髪、緑がかった青い瞳、静かな佇まいと思慮深い振る舞いによって、ネフェルタリは宮廷に仕える者たちの心を完全に捉えてしまっていた。慎重ながら人に影響を及ぼさずにおかぬその人柄をもってラムセスを助け、エジプト王妃として、またラムセスの妻としての役目を同時にこなしうる奇跡を体現していた。
  ―[RAMSES Kadeş Savaşı]p.16―

 輝く黒髪に青みがかった緑色の瞳を持ち、静寂と瞑想を好むネフェルタリは宮廷の人々の心をつかんでいた。彼女は押しつけがましいところは感じさせずにラムセスの統治に力を貸し、王妃と妻という二つの役割を奇跡的になしとげていた。
  ―『太陽の王ラムセス3 カデシュの戦い』p.20―


 いずれも原文の解釈が微妙にずれたがために、結果として意味がかなりずれてしまった例ではないだろうか。
しかし、宮廷人たちの心を掴みうるのは、王妃の「振る舞い」か「好み」かと言われれば、「振る舞い」の方が納得がいくし、「押しつけがましいところは感じさせずに」では、王妃の魅力が十分に伝わらない気がする。原文に忠実かどうかは不明だが、ここはトルコ語の方が納得のいく訳となっている。