『雪』より―雪をめぐる断章【7】

cesur_civciv2007-12-29







第15章 誰にも、人生で真に望むものがあるはずだ―国民劇場にて  より



・・・かすかにオレンジ色がかった古ぼけた街灯の明りや、凍りついたショーウィンドウの裏側におかれた褪めたネオンの放つ光が、沙棗(スナナツメ)と鈴懸の樹の枝に積もった雪や、端の方に大きな氷柱の垂れ下がった電柱に反射している様を、Kaは陶然と眺めた。雪は、魔力的で、ほとんど神々しいまでの静寂のなかで降っており、自分のかすかな足音と、荒い呼吸の音以外に聞こえるものは何もなかった。犬一匹、吠えはしなかった。まるで世界の果てに辿りつき、その瞬間に目にする何もかもが、世界じゅうが、雪の降るさまに全神経を集中させているかのようだった。Kaは、古ぼけた街灯のまわりの雪粒を、そのいくつかはゆっくりと下に落ちてくる一方で、そのうちの二粒、三粒は頑として上の方へ、暗闇の中へと昇っていく様子を眺めた。
 アイドゥン写真館の庇の下に入り、縁の凍りついた看板から発している赤みがかった光の下で、コートの袖についた一粒の雪を一瞬、注意深く見つめた。
 風がひと吹きして、小さな変化が起こった。アイドゥン写真館の看板の赤い光が突然消えると、向かいの沙棗(スナナツメ)の樹もまるで黒味を帯びたかのようだった。
 (p.134-5)

 

 さながら映画のなかのワンシーンのごとき映像美に溢れた描写である。仄青い闇、オレンジ色の街灯の明り、黒々とした樹々のシルエット、キッチュなネオンの赤い光、神秘的に輝く白い雪・・・・夜の街角の寂寥とした情景が、読む者の眼前にありありと広がることだろう。
 つくづく思うが、パムックは映画の脚本家としても、なかなかの資質を持っているのではなかろうか。


 なお、比喩的表現を随所に散りばめるのを得意とするパムックだが、ここでも、大勢の雪粒に逆らって、暗闇へと頑として昇っていこうとする少数の雪粒のひとつに、Ka自身をなぞらえているように読める。