『ロバの図書館』を読む(2)

ファキル・バイクルト




ファキル・バイクルト(Fakir Baykurt)



 本名タヒル・バイクルト(Tahir Baykurt)。1929年、ブルドゥル生まれ。ギョネン村教員養成学校*1を終えた後、村落教員として働き出す。1955年にガーズィ教育専門学校を終えてからは、スィワス、ハフィック、シャヴシャットでトルコ語教師を務めた。


 民主党の勧めで教員を辞し、党内で裏方の仕事に就いた後、1958年、ジュムフリイェット紙に発表された処女小説『蛇たちの復讐(Yılanların Öcü)』を理由に訴追請求される。1960年の軍部によるクーデターの後、初等教育検査官に任命される。1962〜3年にアメリカ、インディアナ大学ブルーミントン校で教材に関する専門教育を受けたバイクルトは、帰国後、トルコ教員労働組合(TÖS)およびトルコ教員組合国民連合(TÖDMF)の委員長に選ばれた。1969年にはトルコで初めて全国的に波及した教員ボイコットに参加したために、免職処分となる。1971年の軍部クーデター以降、長い間拘留された。


 このような政治活動の一方で、詩によって文学の世界に一歩を踏み出したバイクルトは、その文学人生において、つねに社会主義―現実主義的な観点から、短い物語や村での覚書を作品化してきた。数々の雑誌、新聞で作品を発表した後、1955年にはそれらを集めた初めての著作『斑点をもつもの(Çilli)』を出版。その後も、農村生活や、農民たちの願いと苦痛、矛盾を表現する物語や小説を著し続けた。
 
 詩的ながら飾り気のない言葉を用いるバイクルトは、庶民独特の話法や表現をしばしば作品の中に登場させた。『大鎌(Tırpan)』は1970年のTRT 賞を、1971年にはトルコ言語協会賞を、『命の値段(Can Parası)』(1973年)はサイト・ファイク小説賞を、『カラ・アフメット叙事詩(Kara Ahmet Destanı)』はオルハン・ケマル小説賞を獲得。また『蛇たちの復讐(Yılanların Öcü)』は、1961年にメティン・エルクサン(Metin Erksan)監督によって、1985年にはシェリフ・ギョレン(Şerif Gören)監督によって映画化された。


 1977年以降ドイツのデュースブルクに住んだファキル・バイクルトは、1999年10月11日エッセンにて逝去する。デュースブルクで葬式が行われた後、彼の遺体はトルコに運ばれ、イスタンブールのズィンジルリクユ墓地に埋葬された。

 

 小説の代表作としては、以下の作品が挙げられる。

●『蛇たちの復讐(Yılanların Öcü)』1958年
●『ウラズジャの安寧(Irazca’nın Dirliği)』1961年
●『十番目の村(Onuncu Köy)』1961年
●『亀(Kaplumbağalar)』1967年
●『アメリカの包帯(Amerikan Sargısı)』1967年
●『大鎌(Tırpan)』1970年
●『鬼アザミ(Köygöçuren)』1973年
●『ヤマウズラ(Keklik)』1975年
●『カラ・アフメット叙事詩(Kara Ahmet Destanı)』1977年
●『高原(Yayla)』1977年
●『溶鉱炉(Yüksek Fırınlar)』1983年
●『大トナカイ(Koca Ren)』1986年
●『半分のパン(Yarım Ekmek)』1998年
●『ロバの図書館(Eşekli Kütüphaneci)』2000年

*1:トルコ語ではKöy Enstitüsü(村落専門学校)といい、農村に適した小学校教員を養成する機関として、1940年以降、全国各地に創設された。入学資格は小学校卒業。5年制で、履修科目は文化、農業、技術の三科目。1954年に廃止された。