新着本(1)『危険な芝居』

TEHLİKELİ OYUNLAR




 『キラーゼ』のシノプシス作成も中断したままだというのに、早くも歴史小説に飽きてしまったようだ。飽きっぽい自分のこと、そのうち「歴史小説熱」も再燃することだろうから、ここは今の気分に素直に従って「純文学系」に戻り、先日届いた二冊の現代小説を紹介することにしよう。


 トルコ文学、比較文学、文学理論などの研究者であり、『トルコの小説におけるポストモダニズム派の拡大(Türk Romanında Postmodernist Açılımlar)』『オルハン・パムックを読む(Orhan Pamuk'u Okumak)』などの著作もある、この分野では第一人者にあたるユルドゥス・エジェヴィット(Yıldız Ecevit)女史は、その著作のなかで、トルコ現代文学におけるポストモダニズム小説を代表する作品として四作品を取り上げて分析を行っている。

 その四作品とは、オルハン・パムック『わたしの名は紅』、以前紹介したことのあるハサン・アリ・トプタシュ『千の憂鬱なる愉悦』、そして今回紹介する二作品、オウズ・アタイ『危険な芝居』と、メティン・カチャン『ハシバミ 八』である。



まずは、オウズ・アタイ『危険な芝居』から。



〔書  名〕TEHLİKELİ OYUNLAR (仮題:『危険な芝居』)
〔著  者〕Oğuz Atay (オウズ・アタイ)
〔出 版 社〕İletişim Yayınları
〔出 版 年〕Sinan Yayınları、初版1973年 (1984年イレティシム出版移籍/最新版2006年19刷)
〔頁  数〕479ページ



 人が自己と闘いそれに打ち勝つこと、自己を変革することを、生死をかけた問題と認識するよう謳う注目すべき衝撃作。

 主人公ヒクメット・ベノルが、世間で頻繁に起こる混乱の根底に横たわる真実性を探し求めようとする時、真実に誠意をもって関わるのは、社会を指揮する側からは危険とみなされることを感じとる。
そこで「芝居をしているかのように」関わりつつ生きていく方法を見つけようとする。

 こうして彼は、「危険」であると同時に「芝居」的要素に満ちた道を、行く着くところまで突き進むことになる。
(裏表紙より)