『雪』より―雪をめぐる断章【4】


    第7章  政治的イスラム主義者など、西欧かぶれの政教分離主義者のつけた名にすぎない―党本部、警察署、ふたたび各通りにて  より



  目を瞠るほど大粒の雪が、ゆっくりゆっくりと降っていた。 その緩慢さと豊満さ、町の何処からやってくるとも知れぬ仄青い光のなかでくっきりと際立つその純白さには、人に安らぎと信頼を与える力強い側面、Kaを魅了するある種の気品があった。 子供の頃の雪降る夜を Kaは想い出した。 イスタンブールでも、かつては雪や嵐になるとしばしば停電になり、Kaの小さな心臓をいっそう早鐘打たせる怯えた囁き声と、「アッラーよ、守りたまえ!」と祈る声が家のなかに響いたもので、その度 Kaは家族がいることに幸福を感じたものだった。 
(p.63)

Kaの目には、小さな子供たちが「雪嵐」と名づけていた、水の詰まったガラス玉の中の雪片ほどにも大粒に映ったおとぎ話風の雪のなかを、警察の車はそろりそろりと進んだ。
(p.67)


ここでは雪は、依然としてイスタンブールの子供時代の想い出と結びついている。


スノーボールというらしいが、雪の降る風景をガラス玉に閉じ込めた置物は、オルハン・パムックの作品に繰り返し登場する小道具のひとつである。
透き通ったガラス玉の中の小さな世界は、いつ何時でも、何度でも、逆さまにすることで真っ白な雪を降らせることができる。 水の中をゆっくりと舞い降りてくる大粒の雪を、子供時代のパムックも飽きることなく見つめ続けた記憶があるに違いない。 いつまでも、静かに、そうして雪が降り続いていてくれれば―時が止まってくれれば―このまま子供のままでいられたら―そんな子供らしい無邪気な願いと、スノーボールの完全な小世界はぴったりと重なり合う。

が、現実は、スノーボールの中の風景のように再生のきく世界ではない。 雪は途切れることなく降り続け、降り積もり、そして予想だにしえなかった風景を伴って、留まることなく進展していくのだった。