ノーベル賞受賞スピーチ 【父の旅行鞄】−5

 しかし父の鞄から、そしてもちろんイスタンブールの、私たちが暮らしていた生活の褪せた色彩から理解できるように、世界の中心は私たちから遠く離れたところにありました。 この基本的真実を実感することから生まれたチェーホフ派の辺境感覚について、もう一方の副次的結果である真実性の懐疑について、私は作品の中で随分と語ってきました。 世界人口の大部分が、この感覚とともに生きていることを、しかもより重苦しい感覚である閉塞感、自らへの不信感、そして見下されることへの恐怖感と闘いながら生きていることを、私は自分自身の例から知っているのです。 

 そう、人間の第一の苦悩はいまだに、財産を持てないこと、食べ物のないこと、家を持てないことです。 しかし、もはやテレビ、新聞が、この基本的な苦悩を文学よりずっと素早く容易なかたちで私たちに語ってくれます。
 
 今日、文学が本来的に語るべき、そして研究すべきものである、人間の基本的苦悩といえば、疎外感と自分を取るに足らないものに感じる恐怖、これらに結びついた無用無益の感覚、一集団として経験する自尊心の欠落、脆弱さ、軽視されることへの不安、さまざまな種類の怒り、恨み、尽きることのない、見下されるのではないかという想像、そしてこれらの同類である民族的賛美、自画自賛です。 大抵は意識せずに、またきわめて感情的な言葉によって外に向かって投げつけられるこれらの想像を、私は自分自身の中にある暗闇に目を向けるたび、理解することができます。 私が自分を容易に同化させることのできる西洋・外の世界における大きな集団、社会、国民が、軽視されることへの恐れと恨みゆえに、ときどき愚かなまでの恐怖に取りつかれてきたのを私たちは目撃しています。 私が自分を同じ容易さによって同化させることのできる西洋世界においても、ルネサンスを、啓蒙運動を、近代化を発見したことと豊かさに対する、度を越した誇りによって、国民、国家がときどき同様の愚かさに似たある種の自国愛に取りつかれたことも知っています。


 要するに、父のみならず、私たち全員が、世界には中心があるという考えに非常に重きを置いているのです。 にもかかわらず、文章を書くために私たちを何年も一室に閉じ込めるものは、その正反対であるところの信頼です。 いつか私たちの書いたものが読んで理解されるだろうことに対する。 なぜならこれは、人が世界のどこにおいてもお互いに似通っていることに関するひとつの信念だからです。  しかしこれは、私自身の例から、そして父の書いたものから私は分かるのですが、周縁に居ることの、外界に取り残されていることの怒りと並んで、傷と悩みを有する一種の楽観なのです。
 ドストエフスキーの、全人生を通じて西洋に対して抱いていた愛と憎悪の感情を、私自身も、何度となく自分の内に感じました。 しかし、私が本来彼より学んだもの、生来的楽観の源は、この偉大な作家が西洋との間に築いた愛と憎悪の関係から端を発して、それらの向こう側に作り上げたまったく別の世界でありました。


 この仕事に人生を捧げた作家たち全員が、この真実を知っています。 私たちが机に向かって執筆する理由とともに、何年も希望とともに書き続け作り上げた世界は、最後にはまったく別の場所へ落ち着くものであることを。 私たちが苦悩あるいは怒りを抱えつつ向かっている机から発して、私たちはその苦悩と怒りの向こう側にあるまったく別の世界に達するのです。
 父も、このような世界に到達したことにはならないでしょうか?

 長い旅路の果てに到達するその世界は、まさに長い航海の最後に、霧が晴れるに従って、ありとあらゆる色彩を伴って私たちの前にゆっくりと姿を現すひとつの島のように、私たちにある種の奇跡のような感覚を与えるものです。 あるいは西洋の放浪者たちが、船で南から近付きつつあるイスタンブールを、朝靄が晴れるに従って目にした際に感じたものに似ているのです、これは。 希望と不安とともに出発した長い旅路の果てに、そこには、モスク、ミナレット、家のひとつひとつ、通り、丘、橋、坂などとともに、ひとつの都市全体、ひとつの世界全体が存在しているのです。
 人は、まさに良き読者が一冊の本の頁の間に埋没するように、目の前に出現したこの新しい世界の中にたちまち入り込み、埋没することを望むものです。

 私たちは、周縁で、辺境で、外界で、怒って、あるいは傷ついているがために机に向かい、そしてこの感覚を忘れさせるまったく新しいひとつの世界を発見したのだと思います。


 子供時代、青年時代に感じていたのと正反対に、私にとってもはや世界の中心はイスタンブールであります。 単に、私が全人生のほとんどをそこで過ごしたからではなく、33年間、通りの一本一本を、橋を、人々を、犬を、家々を、モスクを、泉を、奇妙な伝説の人物たちを、店を、知人たちを、薄暗い場所を、夜と昼を、自分自身をそれらすべてに同化させながら語ってきたからです。
 
 ある一点を越えると、私の想像したこの世界もまた私の手元を離れ、実際に私の暮らした都市以上に、私の頭の中で現実化します。 そのとき、それら人々、通り、物、建物は、あたかも皆で一緒に会話をはじめ、あたかも私が以前には感じることのできなかった関係を自分たち自身の間で築きはじめ、あたかも私の想像と作品の中でではなく、自分たちだけで生きはじめるものなのです。 針で井戸を掘るがごとき忍耐によって空想しつつ構築したこの世界は、そのとき、何よりずっと真実であるかのように私には思えるのです。