『白い城』 【29】 P.68〜71

エディルネ


 

 

 こうして、二ヶ月の間に、ホジャの人生について11年間では知りえないほどのことを私は知った。 後に私がスルタンとともに出掛けたエディルネで、ホジャと家族は暮らしていた。 父親は随分若くして死んでしまったらしい。ホジャはその顔を覚えているか、覚えていないかという年頃だった。 母親は働き者で、後に再婚した。 最初の夫との間に、女の子ひとり、男の子ひとりというふたりの子供があった。 二度目の夫との間には四人の男の子が生まれた。 この男は蒲団屋だったという。 最も勉強好きなきょうだいは、当然のように彼だったそうだ。 きょうだいの間で最も賢く、最も出来がよく、最も勉強家で最も強いのが彼だったことを、私は知った。最も正直なのも彼だという。 ホジャは、女きょうだい以外の兄弟たちのことを嫌悪とともに思い出していた。が、こんなことを全部書く価値があるのかないのか、彼はあまり確信を持てないでいた。 おそらく、後になって、この書き方と人生物語を私自身が作り上げるだろうことを、その時から予感していたために、私は彼を励ましたのであろう。 彼の言葉と行動には、私が気に入り、かつ私の知りたい何かがあったのだ。 人は、自分の選択した人生を、後に受け入れることができるようになるまで好きにならねばならない。私もそう心掛けてはいるのだが。 もちろんホジャは、男きょうだい全員が馬鹿者だと思っていた。 唯一、お金を欲しがるときだけ、彼らは彼に連絡をとっていたのである。 しかし彼は、自分自身を学問の道へと向かわせた。 セリミエ神学校への入学が許可され、学校を卒業しようというとき、無実の罪を負わされたという。 ホジャはこの話題には二度と触れなかったし、女のこともまったく口にしなかった。 一番最初に、一度は結婚寸前だったことがあると書いた。 その後で、怒りながら書いたもの全部を破り捨てた。 その夜、家の外では、泥のような雨が降っていた。 後になって繰り返し味わったいくつものあの恐ろしい夜の、これが最初の夜だった。 ホジャは私に対し侮辱的な言葉を吐き、書いたものは嘘だと言った後で、すべてを最初からもう一度書こうとした。 彼は私にも向かいに座って書かせようとしたので、私は丸二日眠れぬ日を過ごした。 ホジャは私の書いたものには、もはや一瞥もくれなかった。 私は机のもう片方の端に座り、想像力すら働かせることなく同じことをもう一度書き、目の端で彼の動きを追っていた。


 二、三日後、ホジャは、東方から取り寄せたあの高価で純白な紙の上に、毎朝、「なぜ私は私なのか」と書くようになった。 しかし、この題名の下には、他の者たちがなぜあれほど低俗で愚かなのかということ以外には何も書いていなかった。 それでも、母親の死後、彼が不公平に扱われたこと、手に入ったお金でイスタンブールに出て来たこと、一時期アヘン窟に足繁く通ったこと、しかし、そこに居た者たち全員が低俗で嘘つきであることに気付いて後、そこからは縁を切ったことが私にも分かった。 私は、このアヘン窟での冒険をもう少しホジャに説明してもらおうとした。そいつらから逃れたことは、彼にとって真の成功にあたると思った。彼は自分自身を区別することができたのだから。 これを告げると、ホジャは腹を立てた。 自分の人生のみっともない部分を、いつか私が彼に対して利用するために興味を抱いたのだろうと言った。 だいいち、今までに私が知ったことだけでも多いくらいだという。 しかもその種の―低俗だと考えられる性的表現のうちのひとつをここで使った―詳細に関しては私が知りたがらないことが、彼に疑いを抱かせるのだという。 それから女きょうだいのセムラについて長々と説明した。彼女が善人であることを、また彼女の夫が悪人であることを。 彼女に長年会えないがために感じている悲しみについて口にした。 が、私がこの話に興味を示すとホジャは疑いを抱き、話を他に移した。 手元に残った最後のお金を本に使ってしまった後、長い間、勉強以外のことは何もしなかったこと、その後、あちこちで小さい書記仕事を見つけたこと、しかし人々があまりにも不誠実であることを説明していた。 と、そこに、少し前、エルズィンジャンからその死の知らせを受け取ったサドゥック・パシャのことを彼は思い出した。その頃、パシャと知り合ったのだという。彼の学問への関心のおかげで、すぐにパシャに可愛がられたそうだ。 子供学校での教師の仕事もパシャが見つけたらしい。 が、実は馬鹿者そのものだという。 一ヶ月続いたこの執筆作業の最後に、ある夜、後悔の念に取り付かれ、ホジャは書いたものすべてを破り捨てた。 このせいで、彼の書いたものや私自身の過去を、今、想像力に基づいて新たに作り上げようというとき、気に入った部分に心奪われることを私はまったく恐れてはいなかった。 ホジャは、最後の情熱でもって、「私が近くで見知った馬鹿者たち」という題名によって分類したものに関し何ごとかを書いたが、急に怒り出した。 この文章のどれ一つとして、自分の役に立たなかった、新らしいことは何も学ばなかったという。 なぜ自分が自分なのか、今もって彼には分からなかったのである。 また、私が彼を裏切り、思い出したくなかったことを必要もないのに私が再び考えるよう仕向けたという。 そして、私に罰を与えるつもりだという。