『白い城』 【27】 P.63〜65


 なぜあなたがあなたなのか私には分からないと答えた後、この問いが、あそこで、私の祖国の、彼らの間で、何度も繰り返されていることを、毎日何度となく繰り返されていることを付け加えた。 これを言いながらも、私の頭の中には、この言葉を裏付けるただひとつの事例も思想もなかった。 単に、彼の望むような答えをしたいと思っただけなのだ、たぶん。 単なる直感によって、ゲームを気に入るだろうと感じたから。 彼は驚いた。 私の方をしげしげと眺め、続けるよう望んだ。 私が黙ると、我慢できず、繰り返すよう言った。 つまり彼らは、この問いかけを普段からしているというのかね? 私が微笑みながら彼の言葉を裏付けるのを見て、すぐに怒り出した。 彼らがしているからといって真似したわけではないのだそうだ。 彼らがこの問いかけをしていることなど知らずに、ホジャは自分自身に問いかけていたという。 彼らが何をしていようが、自分はなんとも思わないそうだ。 「まるで耳の中である声が、いつまでも私に歌を歌って聞かせているようなんだ」と言った、それから妙な様子で。 耳の奥のその歌い手は、彼に亡くなった父親を思い出させたらしい。 死ぬ前に、父親にもそのような歌い手がいたらしい。だがその歌は別物だったという。 「私のは、ずっと同じ文句を繰り返してるんだ」と言って少し恥ずかしそうにし、思わず口に出した。 「私は私だ、私は私だ、ああ!」


 もう少しで大笑いをするところだったが、ぐっと堪えた。これが愉快な冗談ならば、彼も笑っていなければならない。が、笑ってはいなかった。 しかし滑稽さの入り口すれすれに立っていることは彼も分かっていた。 私に課せられているのは、この滑稽さと繰り返し文句の意味するところを理解しているように見せることであった。 今度ばかりは彼に続けて欲しかったからである。 その文句を真剣に受けとるべきだと私は言った。 もちろん、耳の奥でその歌を歌っているのは、彼自身以外の何者でもなかった。 わたしのこの言葉を悪ふざけと受け取るだろうと思ったら、案の定彼は腹を立てた。 彼も分かっているのだそうだ、このことは。 彼が気になったのは、その声がこの言葉をなぜ繰り返し続けるのかということだという!


 心の鬱積からだ、とは言わなかった、もちろん。しかし、はっきり言うならそうだ、と私は思っていた。 自分勝手な子供たちに見られる鬱憤の、実り多いもしくは馬鹿げた結果であることを、単に私自身だけでなく、兄弟たちの例からも私は分かっていた。 この文句の起因ではなく、意味を考えねばならないと私は言った。 その時ふいに、もしかしたら、この空白で彼の頭がおかしくなるかもしれないと思った。 私も彼を観察することで、失望と恐怖心の鬱積から救われていたのである。 おそらく今回ばかりは、心底、彼に感心していただろう。 これをすれば、我々ふたりの人生に、今度こそは、本当の何かが起こるはずだった。 「で、何をすればいい?」と彼は、最後に仕方なく言った。 なぜ私が私なのか、彼に考えるように言った。しかし忠告を与えるような言い方はしなかった。 私はこの問題に関して彼の手助けはできそうもないので、解決は彼に任されていた、そのためである。 「それで、私は何をすればいい?鏡でも見ればいいのかい?」と言った、ふざけたような調子で。 しかし気が楽になったようには見えなかった。 彼に少し考えさせるため、私は黙った。 彼は繰り返した。「鏡でも見ればいいのかい?」 私は急に腹が立った。ホジャは自分ひとりではどこにも行き着けないだろうと思った。 それを気付かせたくなった。 私なしでは何ひとつ考えられないのだろうと、面と向かって言おうかという気になった。が、勇気がなかった。 麻痺したかのような様子で、私は鏡を見るように言った。 いいや、勇気ではない、気力がなかった。  ホジャは腹を立て、扉を叩きつけるようにして外に出る時、大声で怒鳴った。私は馬鹿者だという。


 三日後、その話題をもう一度持ち出してみると、ホジャがまたもや「彼ら」に言及しようとしたので、私はゲームを続けたくなった。 なぜなら、どのようであれ、何かに専念することすら、その頃は希望を与えるに十分だったから。 彼らが鏡を見ていることを、しかもこの国の人たちよりもずっと頻繁に鏡を見ていることを教えた。 単に王たち、王子たち、貴族たちの宮殿だけでなく、ごく普通の人々の家でも、丁寧に額装され、注意深く壁に掛けられた鏡で埋め尽くされているのだと。 しかし、ただこれだけの理由からではない、頻繁に自分たち自身のことを考えたがために、彼らはこの件では先に進んでいるのだと。 「どの件で?」とホジャは訊いた、驚くほどの好奇心と無邪気さでもって。 私が言ったことを、一言一句信じたのだと思ったが、その後で彼は微笑んだ。 「つまり、朝から晩まで、彼らは鏡を見ているわけか!」 私が祖国に残してきたものを、彼は初めて笑いものにした。 怒りに任せて、彼の心を痛めつけるようなひと言を探した。 よく考えもせず確信も持たぬまま、すぐに言ってしまった。 自分が何であるか、人はあいにくその人自身にしか考えられない。が、ホジャには、これをやれる勇気がないと。その醜い顔が望んだとおり悲しみで歪むのを見て、愉快になった。


 しかしこの愉しみは、私には高いものについた。 ホジャが、私に毒を盛って殺してやろうと脅したからではない。 私が、彼が示すことができないと指摘した勇気を、数日後には、私自身が示すように言われたからである。 最初は冗談だと聞き流したかった。 鏡を見るという話同様、人が何であるかは、その人自身にしか考えられないことだというのも、冗談のひとつであったと。 その言葉は、彼を怒らせるために怒りに乗じて言ったものだと。 が、この私の言葉を彼は信用していないようだった。 勇気を証明しなければ、食べ物を減らし、さらには部屋に鍵をかけて閉じ込めることにしようと私を脅した。 よく考えて、自分が何であるか、紙に書かなければならないという。 この作業がどのように成されるか、私がどれほど勇敢になれるか、見ようというのだ。