『白い城』 【25】 P.57〜60

キョプリュリュ・メフメット・パシャ

 

 

 この目的をもって、ホジャはまったく新しい本に取り掛かった。 私からアステカ人たちの最期やコルテスの回想について話を聞いた。 彼の頭の中には、学問に敬意を払わなかったために杭に座らされた哀れな少年王の物語が、以前からあった。 その間にもホジャは、善良な人間がうたた寝している時、大砲や道具、作り話や武器などで彼らを押さえ込み、自分たちの体制に服従させてしまう恥知らずたちについて語っていた。 それでも、部屋に閉じこもって書き上げたものを、長い間私には隠していた。 私は感じていた。ホジャはまず私が気に掛けるのを待っているのを。 しかしその頃、突然私を思いがけない不幸の底に突き落とした望郷の念が、ホジャに抱いていた私の恨みを増幅させたのである。 私は興味を押さえつけ、破れた粗悪な書物と私が語って聞かせたことに始まり、安く手に入れたため読んだというだけの本に至るまでの、彼の創造的な知能が到達した結果に、興味がないよう見せることに成功したのである。 こうして、最初は自分自身に、次にはその頃書こうとしていた事柄に対する彼の自信が、少しずつ尽きかけているのを、私は日一日と愉しみながら眺めたのであった。


 ホジャは、自分の研究室のようにしてしまった二階の小部屋に上がり、私が作らせた机に座っていた。さらに考えてもいた。が何も書いてはいなかった。 私はそれを感じ取っていた。もっと言えば、知っていた、彼が何も書いていないことを。 考えたことを、私がどう思うか聞かないうちに書ける勇気がホジャにはないことを、私は知っていた。 ホジャの自身に対する信頼を阻むものは、彼が見下しているかのように見える私の単純な思考の物足りなさでもなかった。 本当は、ホジャは、私のような者たちが、「彼ら」が、私にあの知識すべてを教え、私の頭の中にあの箱を、あの知識の棚を配置した、向こう側の者たちが考えることを知りたかったのだ。 彼らはこのような場合、いったい何を考えるだろうか? 私に訊きたいと強く望みながら訊くことができなかった問いとは、ほら、これだったのだ! 彼がプライドを捨て、勇気を出してこの問いを私に投げかけるのを、私はどれほど待ったことか! しかし、彼は訊かなかった。 書き終えたのかどうかも分からぬこの本を、ホジャはしばらくすると放り出し、今またあの「馬鹿者ども」の繰り言に戻ってしまったのだ。 やらねばならないのは実は学問なのに、彼らはなぜあれほど馬鹿なのか、それを理解することでやり過ごしていた。彼らの頭の中がなぜああなのかを知り、それに合わせて考えることで! ホジャは失望感から同じ言葉を繰り返しているのだろうと思っていた。待ち望んでいた宮廷からの登用のサインを受け取れなかったために。 時は無用に過ぎ去っていき、スルタンの成長期も、ほとんど何の役にも立たなかった。


 キョプリュリュ・メフメット・パシャ*1が大宰相になる前の年、ようやくホジャは所領に恵まれた。 しかも自分の希望する場所を選ぶことで。 ゲブゼ近郊のふたつの粉挽場と、町まで一時間の距離にある二つの村の収入を統合したらしい。 収穫の時期、我々はゲブゼに出掛けた。 ある偶然の結果、空き家だった以前の家を我々は手に入れた。 しかしホジャは、ここで共に過ごした数ヶ月を、私が家具屋から持ち帰った机を憎々しげに眺めた日々を忘れてしまっていた。 まるで家とともに、その思い出も古び、みすぼらしくなってしまったかのように。 確かにホジャの表情には、過去に取り残された何事にも関心を持とうとしないある種の気短さがあった。 ホジャは村々に何度か出掛け、監査を行った。 それ以前の年の収入を調べ出し、その噂を計時局の仲間から聞いていたタルフンジュ・アフメッド・パシャ*2の影響もあって、所領の会計をもっと単純かつ理解しやすいかたちで表す帳簿をつける方法を見出だしたと公表した。


 しかしホジャは、その独創性と有用性を自分でも信じられなかったこの発明に甘んじてはいなかった。 というのも、古い家の裏庭に座って、ひたすら空を見上げながら過ごした夜には、心の内にある天文学への情熱を新たに燃え上がらせたからである。 ホジャは考えたことをさらに一歩先に進めるつもりなのだろうと思いながら、いっとき私も彼を励ました。 しかし彼の意図は、観測することや知性を働かせることにはなかったようだ。 村やゲブゼで知り合った中で最も頭のいい若者たち、少年たちを、最高の知識を教えてやろうといって家に呼んだのである。 私にイスタンブールまで取りに行かせた模型やベルを修理させ、油を挿し、彼らのために裏庭に設置した。 ある晩、どこから手に入れたか私には理解できない期待と活力とともに、ホジャは、何年も前パシャに、ずっと後にはスルタンに説明したあの天空の理論を、決して質を落とすことなく興奮しながら繰り返したのだった。 真夜中、ただ一つの質問もせぬまま家に帰る群衆と天文学から、ホジャが最後の希望を絶たれるためには、翌朝、中からまだ温かい血が吹き出るお唱え済みの羊の心臓を家の玄関前に見つけることで、事足りたのであった。


 しかしこの敗北を、ホジャはさほど大袈裟にはとらなかった。 確かに、地球と星たちがどのように回るのか理解すべきは彼らではなかった。今のところ、彼らの理解すら必要なかった。 理解すべき人物は、今や成長期を終えようとしていた。 もしや留守の間、我々を探したかもしれない。 収穫後に我々の手に渡るわずかな金のために、我々はここでむざむざ機会を逃していたのだ。 我々は仕事に整理をつけ、あの賢い若者たちの中で最も賢そうな者を家令に抱えた後すぐに、イスタンブールに戻ったのだった。

*1:Köprülü Mehmet Paşa:スルタン・メフメット4世の治世下、1656年、78歳で大宰相職に就任。スルタンの母后が摂政として国政に干渉する悪習を止める条件と引き換えに全権を握ったメフメット・パシャは、1661年に亡くなるまでの5年間のあいだに、軍部の横暴を制圧して国政に秩序をもたらした他、強力な海軍を組織してヴェネツィア軍を破るなどした。

*2:Tarhuncu Ahmed Paşa:アルバニア生まれ。エジプト藩主時代に行った財政業務が高く評価され、スルタン・メフメット4世のもとで、1652年6月から大宰相職を務める。財政難の建て直しに当たり、あらゆる権限を自分の下に置いた。国家の財政収支をこと細かに明らかにする記帳システムを作らせ、収支間のアンバランスを埋めるための財政プランを用意した。これ以降、私腹を肥やしていた多くの人間を敵に回すことになり、陰謀にかけられることになる。タルフンジュが自分を皇位から降ろし、代わりに異母弟スレイマン皇位に就けようとしていると忠言されたメフメット4世によって、1653年3月絞殺され、彼の財政プランも廃止された。