『白い城』 【24】 P.55〜57

 
 その前の冬、そしてその後の多くの冬同様に、その冬を我々は家で過ごした。 何事も起こらなかった。 寒い夜には、乾いた北東風が扉から煙突から入り込む家の一階で、朝まで座って話し合ったものだった。 ホジャはもはや私のことを見下さなかった。あるいは見下すような態度を取るのをためらっていた。 私は、ホジャのこの親近感を、宮殿からも、宮殿に近い関係者の誰からも、彼に連絡がこないことと関係付けていた。 時には、我々ふたりの相似性を、彼も私ほどに分かっていると考えていた。彼が私の方を見るとき、彼も今では自分自身を見ていることだろう、と気掛かりだった。 何だったろう?彼が考えていたのは? 我々は、動物に関してもう一つ長い論文を書き終えたところだった。 しかしホジャが、パシャは流罪になり、宮殿に出入りしている遠い知人たちの誰ひとり、自分の我儘をきいてくれそうな様子がないと言ったため、それらは机の上に置かれたままであった。 ときおり、無為に過ごした日には、退屈さのあまり頁を開け、自分の描いた紫色のバッタたちや、空飛ぶ魚たちを眺めては、スルタンはこの数行を読んで何を考えるだろうかと気に掛けたものだった。


 ホジャはようやく春先になって呼ばれた。 少年は彼を見て大いに喜んだという。 ホジャの言うには、少年のどの振る舞いをとっても、どの言葉をとっても、自分のことを長い間考えていたことが、しかし周囲の馬鹿者どもの圧力で連絡をとることができなかったことが明らかだという。 スルタンはすぐに話題を祖母の謀略の一件に移し、ホジャはこの危険を予知したと言ったそうだ。 しかし同時に、スルタンはこの危険から無事に免れるだろうことも予知したのだそうだ、ホジャが。 その晩、宮殿で生命に危害を及ぼそうとした者たちの叫び声を聞いたとき、少年はまったく恐れなかったという。 というのも、少年の脳裏にウサギに牙を立てることもできない性悪な犬のことが浮かんだからだという。 スルタンは賞賛の言葉の後で、適当な場所でホジャに所領が与えられるように命じたという。 仕事が予言のまま残ってしまう前に、ホジャは退出せねばならなかったという。所領の特権を得るためには、夏の終わりを待つように言ったという。

 
 待っている間ホジャは、領地収入を見込んで庭に小規模の天文台を作る計画を立てた。 掘られるべき縦穴の寸法や、設置される装置の費用を計算した。 しかし今回はすぐに飽きた。 その間にホジャは、ある古書店でタキユッディンの行った天文観測の結果をまとめた書の、ひどい手書き文字による写本を見つけた。 二ヶ月を、ホジャは観測結果の正確性を検査するために費やしたが、最後には、どの誤りが自分の安っぽい装置のせいなのか、どれがタキユッディンの犯したものなのか、どれがひどい写本書記者の不注意に発しているのか判断できなかったため、仕事を怒って放り出してしまった。 ホジャの神経をいっそう苛立たせたのは、六十進法で計算された三角法的数表の隙間に、本の以前の持ち主の誰かがびっしり書き込んだ、韻や脚韻を踏んだ詩の数行であった。 本の持ち主は、数秘術*1や他の方法を使いながら世界の将来について遠慮深い観測を行っていたらしい。 例えば、四人の女の子の後、一番最後に男の子が生まれるだろうとか、罪のない者を罪深い者と区別するペストが発生するだろうとか、隣人バハッティン候が死ぬだろうとか。 ホジャはこれらの予言を読むとき、最初は楽しんでいたかもしれないが、その後で失望感に襲われてしまった。 ホジャは今や、奇妙かつ恐るべき確信とともに、我々の頭の中身について語るようになった。つまり、蓋を開けて中を確かめることのできる道具箱のことを、部屋の中にある戸棚について語るがごとくホジャは話していたのである。


 スルタンの約束した所領は、夏の終わりにも、冬になる頃にも、ホジャのものにはならなかった。 翌年の春になって、新しく記録が成されたことをホジャは聞いてきた。待たねばならないらしい。 この間にも、まれではあれ、ホジャは宮殿に呼ばれていた。 割れた鏡や、ヤッスアダ*2沖に落ちた緑色の稲妻。理由もなくいきなり粉々に割れてしまった、サワーチェリー・ジュースで一杯の、血の色をした水差し。これらをどう解釈すべきか、また一番最後に書いた論文の中に出てきた動物たちについて、ホジャはスルタンの訊いた質問に答えるのである。 家に戻るとホジャは、少年は成長期に入ったと皆が噂していたと言った。人間が最も影響を受けやすい年代だそうだ、これは。 ホジャはスルタンを思い通りにしてみせるという。

*1:Ebced Hesabı:エブジェド式計算法。英語ではAbjad Numerals。日本ではほとんど紹介されていないため、既成の日本語の中で最も近い意味をもつものとして『数秘術』と訳しておく。アラビア語のアルファベット一文字づつを1から10、20から100、200から1000までの数字に置き換え、ある単語や名前、鍵となる言葉を構成するアルファベットの数字の合計数を計算し、その数を、選ばれた言葉に関係する事件・行事などの日時に一致させるものである。

*2:マルマラ海に浮かぶ群島、アダラル(別名プリンスィズ諸島)に属す小島。ビザンチン時代には流刑地として利用されていた。