『白い城』 【23】 P.53〜55

キャートハネ



 
 
 翌月、我々の想像力の賜物である色鮮やかな動物たちに、少年がどのような反応を示すだろうかと気に掛けながら、ホジャは、宮殿からなぜいまだに呼び出されないのだろうと考えていた。 そこへ、ようやく狩りに呼ばれた。 ホジャはスルタンの傍に、私は遠くから眺めに、キャートハネ渓流*1の岸に佇むミラホル離宮*2に行った。 大変な人垣だった。 警護長がすべてを整えていたらしい。 ウサギやキツネを放しては背後から猟犬に襲わせ、我々はそれを眺めた。 一兎のウサギが仲間から離れて水の中に跳び込むと、皆がそれに注目した。 泳ぎに泳いで反対側の岸に辿りつくと、警護兵たちはそこをまた犬を襲わせようとした。 が、我々遠くにいた者たちにも聞こえていた。スルタンが「ウサギは放免しなさい」といって許可しなかったのを。 しかし見慣れぬ犬が一匹、向こう岸にいたらしい。 ウサギはまた水の中に跳び込んだが、犬は追いついてウサギを捕らえた。 警護兵たちがすぐに駆け寄って犬の口からウサギを取り上げ、スルタンの御前に持ってきた。少年はすぐにその動物を調べさせ、身体に重大な傷がないのを見て喜んだ。 ウサギを山の頂に持って行き、放してしまうよう命令したという。 それから、ホジャや赤毛の小人もその中に混じっていた取り巻きが、スルタンの周囲に集まった。


 夕方、ホジャは話して聞かせた。 スルタンは、この事件はどう解釈されるべきかと訊いたそうだ。 皆が答えた後、順番が自分に回ってきたところで、ホジャは、スルタンがまるで予期していなかった場所から敵が現れるだろうと、しかし危険を無事にはねのけるだろうと言ったそうだ。 ホジャに敵意を持つ者たちは、死の危険性を物語る、しかもスルタンとウサギを同一視するこの解釈を中傷しようと乗り出したが、新しい最高占星学者ストゥク候も混じっていた取り巻き連中を、スルタンは黙らせたという。 ホジャの言葉を教訓としようと言ったそうだ。 それから、何羽もの鷹にそばまで寄ってこられた黒鷲が、必死になって自らを守ろうとするところや、厚顔無恥な猟犬たちにバラバラに引き裂かれてしまった一匹のキツネの哀れな最後を眺めているとき、スルタンは、ライオンの一匹はメス、もう一匹はオス。お互いに均等な二匹の仔が生まれたと、動物の本を大変に気に入ったと話したという。 さらにナイル河の畔に広がる草原で遭遇することのできる、青い翼のある雄牛やピンクの猫のことを訊いたという。 ホジャは、愉快な成功の陶酔感と不安感の中にあった。


 宮殿で何かが起こっているという情報を、我々はこれよりずっと後になって手に入れた。キョセム・スルタン*3が、イェニチェリの最高司令官たちと密約を交わしたのだという。 スルタンとその母后を殺し、その代わりに皇子スレイマン*4を位につけるための計画を立てたのだが、完遂できなかったのだと。 キョセム・スルタンは、口からも鼻からも血が溢れるまで首を絞めて殺されたのだという。*5 ホジャはことの一部始終を、計時局にやってくる馬鹿な仲間たちの噂話で知った。その上で、学校にだけは行き、それ以外どこにも出掛けなかった。


 秋になり、ホジャはいっとき宇宙形状論の原理に一から取り掛かることを考えたが、すぐに失望感に取り付かれた。天文台が必要だったのだ。 その上、馬鹿者どもが星に見向きもしなかったように、星たちも馬鹿者どもには見向きもしなかったのである。 冬が訪れ、閉じこもる日々が始まった。 ある日我々は、パシャが解任されたことを知った。 彼も絞め殺されるところだったが、母后が承知しなかったという。 全財産を取り上げられ、エルズィンジャン*6流罪となったという。 死んだという以外に、それから二度とパシャの情報は手に入らなかった。 ホジャは、もはや誰をも恐れないと言った。誰にもこれっぽちの恩義もないという。 ホジャがこう話すとき、私から何らかを学んだのかどうかということに、どれほどの結論を出したのか、私には分からない。 少年にも、その母后にも、もはや遠慮しないという。 「国家の頂点か、カラスの死骸か」と言おうとするかのようだった。 しかし我々は家の中で、書物に挟まれて大人しくじっとしたまま、アメリカの赤アリについて語りつつ新しい蟻物語を夢に描いていたのだった。

*1:金角湾の最奥部で金角湾に注ぎこむ渓流のひとつ。キャートハネ(=製紙工場)の名は、ビザンチン時代に既に存在していた製紙工場に由来し、この工場はオスマン時代に入ってからも16世紀初めまで継続した。

*2:16世紀末に建設される。なお、ミラホルmirahor(ミラフルmirahur)とは、馬の調教・世話などを担当する官職名。

*3:sem Sultan:1590-1651。スルタン・アフメット1世の后で、スルタン・ムラット4世およびイブラヒム1世の母后。スルタン・メフメット4世の祖母にあたる。頭が切れ、宮殿内で強い影響力を持ち、政府の仕事にもたびたび口出ししたという。そのため一旦は遠ざけられたが、息子が若くして亡くなると、再び官僚たちに影響力を及ぼし始めた。

*4:スルタン・メフメット4世の3ヶ月違いの異母弟で、メフメット4世没後、イブラヒム2世として即位。

*5:孫であるスルタン・メフメット4世の母后で自分には嫁にあたるトゥルハン・スルタンとの間に3年にわたって繰り広げられた権力争いの末、1651年のある晩自分の屋敷で絞め殺された。

*6:イスタンブールから東に1000km、銅製品で有名なアナトリア東部の町。