『白い城』 【19】 P.43〜46

タキユッディンの創設した天文観測所


 
 
 翌日ホジャは部屋に閉じこもって研究を始めた。 数日後、時計と星たちをまたもや馬車に積み込ませ、窓格子の向こうのあの興味丸出しの眼差しの中、子供学校に向かった、今度は。 夕方戻るとホジャはうんざりしていたが、黙り込むほどではなかった。「子供たちもスルタンほどに理解してくれると思ったが、間違っていた」と言った。 ただ怖がっただけだったという。ホジャが説明した後、質問すると、ひとりの子供は、大空の向こう側には地獄があるんだと言って、泣き出したそうだ。


 その次の週をホジャは、スルタンの知性に対する自分の信頼を強めることで過ごした。 二番目の中庭で経験した数分間を、私にひとつひとつ思い出させ、その論拠に同意を求めた。 少年は賢かった、その通り。 考えるということをすでに知っていた、その通り。 すでに周囲の圧迫から逃れることができるほどの人間性の持ち主だった。その通り! 後になって、スルタンが我々のために夢を見はじめるようになる前に、我々はスルタンのためにこうしてほら、夢を見はじめたのであった。 ホジャはこの間も、時計の研究を続けていた。 兵器についても何らかのことを考えていたと思う。というのも、パシャに呼ばれた際、そのように説明したそうだから。 しかし、ホジャがパシャへの望みを絶ったのを私は感じ取っていた。 「他の者たちのようになってしまった!」とホジャは言った、パシャに対し。「自分が知らないという事実を知りたくないのだ、これ以上!」と。 一週間後、スルタンに再び呼ばれ、ホジャは出掛けていった。


 スルタンはホジャを陽気に出迎えたという。 「ライオンが良くなった」と言ったそうだ。「お前の言った通りになった」と。 それから取り巻きの大勢と一緒に中庭に出たという。 池の魚を見せたという、スルタンは。見てどう思うか尋ねたそうだ。 これを私に話して聞かせるとき、「赤だった」とホジャは言った。「他に言うべきことが何も頭に浮かばなかった」と。 その瞬間、魚の動きに一定の秩序を見て取った。まるで魚同士で話し合いながら、この秩序を完璧なものにしようとしているかのようだったという。 ホジャは、魚は利口そうだと言ったそうだ。 スルタンにひっきりなしに母親の忠告を思い出させる宦官たちのひとりの横にいた小人が、この言葉に笑うと、スルタンは彼を咎めたという。 馬車に大勢で乗り込むときにも、罰だといって赤毛の小人には同行を許さなかったという。


 何台もの馬車でアトゥ・メイダヌ*1へと、ライオンの檻へと向かったという。 古い教会の柱の一本一本に、スルタンがホジャに一頭、一頭見せたライオンたち、豹たち、虎たちが、鎖で繋がれていたそうだ。 ホジャが良くなることを知っていたライオンの前で立ち止まると、少年は会話したという、ライオンと。そしてホジャに紹介したという。 それから、隅の方で横になっていた他のライオンの傍に近付いたという。 他の仲間ほどには臭わないこのライオンは、妊娠しているらしい。 スルタンは、目を輝かせて訊いたそうだ。「このライオンは何匹産む?オスは何匹?メスは何匹?」


 苛々したホジャは、後に私に「しくじった」と語るようなことをやらかしたらしい。  天文学には通じているが、占星術師ではないとスルタンに言ったそうだ。 「だけど、最高占星学者のヒュセイン候*2より、よく知っているじゃないか!」と言ったそうだ、少年は。ホジャは返事をしなかったという。 取り巻きの中でそれを訊いた者が、ヒュセイン候の耳に入れるのではないかと恐れたらしい。 困ったスルタンは、なおもこだわったらしい。「じゃあ、ホジャはまったく何も知らないの?無駄に星を眺めているの、もしかして?」


 この言葉でホジャは、もっとずっと後に説明しようと計画していたことを、すぐに説明せざるをえなくなったらしい。 星たちから多くのことを学んだと、この学んだことから、大いに役に立つ結果を引き出したと説明したそうだ。 目を見開いて聞いていたスルタンの沈黙を良いほうに解釈し、星たちを観測できる天文台をつくる必要があると説明したという。 ちょうど、亡き祖父アフメット1世*3のそのまた祖父、ムラット3世*4がなんと90年前に命令して、亡きタキユッディン候*5に作らせ、後に無関心ゆえに取り壊されたあの天文台のようなものを。 いいや、それよりもっと進歩したものだ。 一種の科学館であって、単に星だけでなく、あらゆる世界を、河と海を、雲と山を、花と自然を、動物をも観測することになる科学者たちは、そこでは隣同士に並び、観測した結果について会話に会話を重ねて先に進め、そうして我々の知性も発達させるのだと。

*1:ヒッポドロームという名でも呼ばれる、ローマ、ビザンチン時代から遺る競馬場跡。

*2:Müneccimbaşı Hüseyin Efendi:1650年没。星図の割り出しの正確さで知られたという。

*3:I. Ahmet:1590-1617。在位1603-1617。

*4:III. Murat:1546-1595。在位1574-1595。

*5:Takiyüddin el-Râsıd: 1526年、ダマスカス生まれ。セリム2世時代に最高占星学者に登用され、1577年、ムラット3世の命によりトプハーネの丘に天文観測所を設置した。が、時の宗教大臣によって「天文観測所のある国々には災難がもたらされる」という宗教判決が下され、1580年に取り壊された。