新着本(2)『住民交換―父祖の地を失った悲運の人々』

Mübadiller



〔書  名〕MÜBADİLLER*1
     (仮題:『住民交換*2―父祖の地を失った悲運の人々』)

〔著  者〕Yılmaz Gürbüz(ユルマズ・ギュルブュズ)
〔出 版 社〕Elips Kitap
〔出 版 年〕2007年
〔頁  数〕761ページ
〔ジャンル〕歴史小説


 
 考えてみるがよい。何百年も住み続けた土地を、家を、ぶどう畑を、田畑を、家畜を、家財道具を、さらには先祖の墓を放棄して出て行くようにと命令されたら・・・。


 1923年、歴史上初めて行われた50万人のトルコ人と150万人*3ギリシャ人との間の住民交換。バルカン半島からトルコへ移住した“住民交換された人々(ムュバーディリ)”の子孫は、現在1000万人にのぼる。これは、国民的経験として、決して忘れられてはならない事実である。

 (裏表紙の紹介文より抜粋)
 

*1:mübadilとは、mübadele(住民交換)によって交換の対象となった人々のことをいう。

*2:1923年7月24日、トルコ政府および西ヨーロッパ諸国の間で締結された講和条約であるローザンヌ条約の一環として、トルコ政府とギリシャ政府との間で調印された「住民交換協定」をいう。ローザンヌ講和会談ではまず、バルカン戦争と、続く第一次世界大戦によって発生した大量の難民と捕虜の問題が取り上げられた。イギリス代表ロード・カーソン卿の提案、ならびに国際連盟難民高等弁務官フリチョフ・ナンセンの報告書に基づき、ギリシャ領内に住むイスラム教徒とトルコ領内に住むギリシャ正教徒の強制移住を企図した「住民交換協定」が締結された。この協定により、イスタンブールギリシャ正教徒と西トラキア地方のイスラム教徒を除き、トルコ領内に住む約220万人のギリシャ正教徒(特にメルシン地方の、トルコ語を話すキリスト教徒も含まれる)がギリシャへ、反対にギリシャ領内に住む約50万人のイスラム教徒(特にクレタ島に住み、ギリシャ語交じりの方言を話す者も含まれる)がトルコへと移住させられた。1924年、この住民交換は完了する。イスタンブールギリシャ正教徒と西トラキア地方のイスラム教徒以外に、ボズジャ島(アダ)、ギョクチェ島(アダ)のギリシャ人も、住民交換の対象から免れた。住民交換を余儀なくされた人々は、艱難辛苦を伴う旅ののち与えられた土地にたどり着いたが、その途上で命を失った人も多かった。現在、西トラキア地方に住むトルコ人は約15万人、ドデカニス諸島のトルコ人は約5千人と想定されている。一方、トルコに住むギリシャ人の人口は5万2千人にまで減少しており、その多くはメルシン、イスタンブール、ギョクチェ島(アダ)、ハタイに住んでいる。(トルコ語ウィキペディア参照)

*3:ギリシャを追われたトルコ人イスラム教徒)の数は大体50万人弱で一致しているが、トルコを追われたギリシャ人(ギリシャ正教徒)の数は資料によって異なり、大体100万人から200万人の間と推定される。