『雪』より―雪をめぐる断章【1】

OrhanPamuk Kar





  第1章 雪の静けさ―カルスへの旅立ち より







 雪の静けさ―そう考えていた。バスの中で運転手のすぐ後ろに座っていた男は。これが詩の冒頭であったなら、心の内に感じているものを雪の静けさと表現していただろう。


 エルズルム発カルス行きのバスに、男はぎりぎり間に合ったところだった。雪嵐に祟られたイスタンブールから二日がかりのバスの旅路ののち、エルズルムのバスターミナルに到着し、薄汚れ冷え切った通路を鞄を手に行ったり来たりしながら、カルス行きのバスがどこから出発するかを聞き出そうとしていたとき、ある人が、今すぐ出発するバスが一台あることを教えてくれたのだった。

 マギルス・マーク(イベコ製)の古ぼけたバスの助手は、いったん閉めたトランクを開けたくないばかりに「時間がないんですよ」と言った。今、両脚のあいだに置かれているボルドー色をしたバリー製の大きな手提げ鞄を、仕方なくバスの中に持ち込んだのは、そのせいだった。窓側の席に座ったこの乗客は、5年前にフランクフルトのカウフホフ・デパートのうちの一軒で購入した灰色の厚手のダウンコートを身に着けていた。カルスで過ごすことになる数日のあいだ、柔らかな羽毛製のお洒落なコートが、男にとって羞恥と居心地の悪さの原因になると同時に、心の拠り所にもなることを、今のうちに指摘しておくとしよう。


 バスが出発するや、窓側の席の乗客が「何か変わったことがあるかもしれない」と眼を一杯に見開き、エルズルムの周辺地区を、小さくてみすぼらしい小間物屋やパン屋を、ボロボロに崩れかかったカフヴェハーネ*1の中を見つめているとき、ちらほらと雪が降りだした。 イスタンブールからエルズルムまでの道すがら降り続いていた雪よりも、はるかに力強く大粒の雪だった。 窓側の席の乗客にもし旅の疲れがなく、空の上から鳥の羽のように落ちてくる大きな雪片にもう少し注意を払っていたならば、近付きつつある激しい雪嵐を予感できたろうし、自分の全人生を変えることになる旅路についてしまったのだということを、初めのうちに理解して引き返すことができたろう。

 しかし、引き返すつもりはまったくなかった。夕闇が垂れ込めるとき、地表よりも明るく光って見える空に眼を凝らし、次第に大きさを増し、風に乗って舞い上がる雪の粒を、近付きつつある不幸の前兆としてではなく、子供の頃に遡る幸福感と純粋性が今また甦りつつあるしるしとして眺めていた。
                                                                          (p.9-10)

 これが『雪』の冒頭である。詩の冒頭になぞらえて、刻一刻と移り変わる雪の相貌と連動するかのように、静かに静かに滑りだすこの物語の、この後のドラマティックな展開を暗示して読者の心を一掴みにする、まことに上手い書き出しである。

 雪は、主人公を翻弄しその中に呑み込んでしまう何ものかの象徴であることが分かる。 いまだ最初の数章までしか読了していないため、雪と主人公の人生がこれからどのように象徴的な意味をもって描かれていくかが、楽しみである。

 
 なお翻訳では、作者が様々な箇所で仕掛けている重層的意味付け、入子構造が、どうしても伝わりにくい場合がある。 邦訳作品はまだ拝読できていないのだが、主人公の名(通称)「Ka」 が、「雪」と「カルス」の町の入れ子になっていることが、日本の読者の方に一読して分かるようになっているだろうか? トルコ人あるいはトルコ語が分かる方であれば、主人公の名が明らかにされるこの第一章で思わずニヤリとしているはずである。
 トルコ語で「雪」は「Kar」。「カルス」のスペルはKars。すなわち、KaKar<Karsという構造をつくることで、Kaが雪に、そしてカルスの町に呑み込まれていくことを巧妙に暗示しているともいえるだろう。

 

*1:トランプやバックギャモンなどのゲームをするために男たちが集う喫茶店。チャイハーネともいう。